フープフラフープ

はらの趣味です

言いわけとホコリに埋もれていく

 

わたしの部屋はめちゃくちゃ汚い。

一番酷い時は引っ越しの未開封段ボールが見えるところに積まれていて、床はほとんど見えず、ソファどころかベッドにまで服が積まれており、床に漫画が積まれ、机の上は食事も安定してできず、飲みかけのペットボトルが落ちていて、クローゼットから服やバッグが雪崩れ出ていた。

その後、定期的に人が来るようになったため物凄く頑張って断捨離、大掃除を経て、一旦は少し物が多いくらいの人間の部屋になった。

そして定期的な来訪がなくなってしまったいま、わたしの部屋は崩壊の危機を迎えようとしている。さすがに流しでカビたカレーのタッパーは捨てられたけど、計量スプーンが道連れにされてしまった。かわいそう。

 

最近はまた部屋を綺麗にしたいと毎日考えてはいるのだけど、毎日気づいたら夜中の1時くらいになってしまっている。もうすぐ引っ越しがあるからこのままだとかなりマズいし、汚い部屋は精神をけっこうな強さで汚染してくる。部屋が汚いってだけで生活の整いが一気にだめになってしまう。不思議。

昨日もぽやっとしてたら寝る時間になってしまって、片付けられなかった罪悪感を抱え地獄になってる台所を華麗にスルーして布団に潜り込んだら、突然わたしの中の綾波レイが「はらちゃんが、もう部屋を汚さなくて、いいようにする!」とか言い出した。世界の理のようなものの断片が急に頭に流れ込んでくる時がたまにあって、それを人類はひらめきと呼ぶのだけど、わたしの頭でもそれが発生したようなので、記録したくてこれを書き始めた。

 

わたしの部屋が汚い一番の原因はおそらく「出しっぱなし」にしてしまうことで、幼少期から繰り返し言われ今でも鮮明に脳内再生できる母の言葉は「出した人がしまう」だ。わたしは出した人にはなれてもしまう人にはなれない女児だった。

ではどうして出しっぱなしにしてしまうのか。それは間違いなく「しまうのが面倒臭い」からだと思う。ウインクするだけで物がしまわれるのなら、何千回だってウインクする覚悟はできている。だけどそんな魔法は知る限りでは存在しないから、わたしたちは自分の手や足を使って何段階かのプロセスを経て物を片付けなければいけない。

であれば、しまうのを簡単にして出しっぱなしを出来る限り減らしていくことで部屋を汚さずに済むようになるんじゃないかなって。部屋が綺麗なひとたちは「当たり前じゃろ」と思ったかもしれないけど、それがわたしにとって当たり前だったら部屋は汚くならないんだからね。

 

思い返せば大掃除で部屋を一度綺麗にしたとてその後片付けやすい部屋では全くなかったと思う。片付けるために入れ物の前にあるものをどかさなきゃいけなかったり、入れ物自体が物でいっぱいで整理が必要だったり、入れ物が取りにくい場所にあったり、踏む段階数が多いのだ。

理由はおそらく物の多さと収納の少なさ、不便さにあるが、引っ越し目前の今の部屋にこれ以上収納を置くのはなかなか現実的ではない。そうなると物を減らすしかない。やはり断捨離が必要らしいという結論に至る。

 

だが困ったことに、わたしの部屋は思い出でできている。わたしの脳は物や写真、音楽や映画と思い出を強く結びつけて認識しており、それらを見る度に聴く度にその時の映像を鮮明に思い出すことができる代わりに、物を媒介とせずに何かを思い出すのがすごく苦手なのだ。物を捨てることは思い出を捨てることに等しい。

もちろん印象深い思い出は物なんかなくたって思い出せるけれど、ふと思い出して懐かしく思えるのってそういう強い記憶じゃなくて物がないと絶対思い出せないくらいの超どうでもいい思い出だったりする。

あれ、そう思ったら、物を捨てる基準がかなり明確化された気がする。見ても微塵も思い出せないものを捨てればいいんだ。

手始めに、目の前にあったピンクのフェイシャルローラーを捨てた。こいつにはなんの思い出もねえ。さよならだ。

頑張って捨てるぞ特に服。でもね今日は仕事が疲れたので、またこんど捨てるよ待っててね。

 

そういえば、火曜日にCAT ATE HOTDOGSというめちゃかっこよーなバンドのライブに行ったのだけど、そこで知ってすきになった3markets[]っていうバンドのOBEYAって歌がめちゃくちゃわたしの曲だったので連日朝の準備中に聴いてる。

おすすめです。めちゃすき。