フープフラフープ

はらの趣味です

窓に映っただれかと見つめ合ってた

 

電車の窓に映る自分の姿ってなんであんなにくたびれてて冴えないんだろう。家の鏡で「今日いけてるわ」と思っても電車乗ってうっかり窓の外の自分と目が合うと「こんな姿でお出かけなんてできない…」と思う。今日は仕事の帰りの電車で死んだ目をした猫背の自分と目が合って、なんとなく見つめ合いながらしばらく何も考えない時間が流れた。進んでいるのかどうかすらわからないままで生きていくのはしんどいな。電車はちゃんと進んでくれるからありがたい。帰りたいと思ったら最寄駅まで送り届けてくれる。帰りたくない今日も、帰るしかないから電車に送り届けてもらう。楽しいことがあった日の「帰りたくない」は何回でも言いたいくらいよく響くのに、ネガティブな「帰りたくない」は口に出さなくても心の中で澱んで響く。帰ったら明日もまた仕事だし、職場の人に会わなきゃいけないし、金曜はたくさん人と喋らなきゃいけない曜日だし、と思ってたら最寄駅にいて、もたもた歩いて帰って、すぐ布団の上に寝転んだ。21時だ。もう、21時だ。

 

ひまなときにスマートニュースというアプリではてなブログはてな匿名ダイアリーを読むことがある。「映画館でスマホいじらないでほしい」みたいな内容のエントリーがあって、そこのレスバトルで人の特性を示す言葉が謗り目的に使用されていて気が滅入ってしまった。言われた人だけじゃなくて、それを謗りとして使っているということ自体がだれかを傷つけているということは往々にしてある。謗りじゃなくても、カジュアルに使った言葉が刃になって刺さることもある。こうしてただ日常をブログに書くにしても、意図せず使った言葉が誰かを苛立たせている可能性も大いにある。現実で直接顔を見て話していてもわからないことだらけで言葉選びを間違えてばかりなのに、インターネットで顔も見えない不特定少数に向けた文章なんて難しすぎる。誰にも嫌われたくない、でも、文章は書きたい。なににもならないとしても、書いておきたい。それを読んでもらえたらすごく嬉しいけど、閲覧数のぶんだけ怖くなる。悪意を握りしめてわたしの言葉を眺める人がいないなんて保証はどこにもない。

嫌われるのとか人の評価とかそういうのが怖くて、属するコミュニティを抜けたい抜けたい嫌い嫌いと思いながらずっと生きてきた。コミュニティが形成されてしまうのが怖い。そこから締め出されるのが怖い。コミュニティが形成されると、好きじゃないのに付き合わなきゃいけないという状態がうまれうる。そうなると疑心暗鬼になって、みんなが自分を嫌いで、仕方なく関わりを持っているのだと思ってしまうし、苦手だと、腫れ物だと思われている空気はなんとなくわかる。そういう自分を守るために、ちょっと何かあっただけで何も悪くない相手を遠ざける。一方的に壁を建てて嫌いだと思う。そうなったらまたコミュニティから抜けたくなる。

好きではない人間を好きなふりしなくてはいけない世界なんて消えてなくなってほしい。信じたあなたのその態度がわたしへの「好きなふり」だったら、もうきっと立ち直れない。そういう疑心暗鬼は1:1の関係ならうまれないはずだと信じているから、頼むからそれだけは裏切らないで、好きなふりをしないでほしい。好きでいてほしい。嘘のない世界にいきたい。でも実際はそんな「嘘と本当」「好きと嫌い」みたいにはっきり分かれたものなんて少なくて、「あなたのことは好きだけどこういうところは苦手」とか、「見ているのは楽しいし好きだけどうまく話せない相手」とか、「嫌いだけどここは尊敬している」とか、なんなら「好きだし嫌いでもある」みたいなことが平気で存在する。というかそれが普通で、そのネガティブな部分に折り合いをつけて、距離感によっては見ないふりをしていくのが人間関係なのかもしれない。白黒つかないものってよくわからなくて怖いし本当は全部外側から中身まで好きでいてほしいけど、わたしの全てを好きでいてくれる人なんて存在しない。わたしですら、わたしの全ては好きになれない。でも、よくない部分をカバーできるくらいの好きを持ってくれてる人がどこかにきっといる。いるよね。いると思わなきゃやってられない。いてくれ。

ダウ90000の演劇公演「いちおう捨てるけどとっておく」のタカシマさんをみた時に感じた胸の苦しさ、恥ずかしさ、悲しさを今日初めて言語化できている気がする。「あなたと一緒にご飯を食べたい」と伝えてくれたことにタカシマさんがどれだけ救われたことだろう。「わたしは本当の意味であなたのことをわかってあげられないかもしれない。でも、わかりあえなくても、仲良くなりたい」という言葉。わたしの言葉があなたを傷つけてしまうことがあっても、いや、おそらく傷つけてしまう日がどこかで来るだろうけど、それを手に取ってきちんと受け渡したい。終盤の「参考書に歌詞書くの、27にもなって」という、セリフだけ読めば刃のような言葉にタカシマさんが嬉しそうにしていたのは、それが優しく受け渡された言葉だからだと思う。タカシマさんのキツい話し方はまるでわたしみたいで、無意識なのもわたしそっくりで、せめて渡し方だけでも、丁寧にできるようになりたい。ひとつひとつを丁寧にやるのってきっとすごく大変だけど、頑張ってもキツい言い方になっちゃうかもしれないけど、できるだけ柔らかいものを渡せるように。渡せますように。

 

 

配信で公演をみてブログを書いていたら、あっという間に0時をまわっていた。タイムラインではsilentの感想が飛び交っている。見逃し配信を見逃す、という言葉だけみると不思議な現象が起きて途中離脱したsilent。正直好きになれなくて、なんで好きになれないかも自分の中である程度はっきりしている。それを言葉にするのは全部観てからじゃないとだよなって思ってて、いやでもそれだけじゃなくて、タイムラインを読んでいるだけで「面白そう、観たい」と思ったから、どこかでちゃんと全部観ようと思う。FOD、また契約したらサブスク増えちゃうな〜。