フープフラフープ

はらの趣味です

終わらせないようにすれば、終わらないでしょ

 

今日は朝の通勤電車で音を意識して過ごした。右隣の人のお腹が鳴った。左隣の女子高生のイヤホンからガンガン音漏れしていた。遠くから三回連続でくしゃみの音がした。電車がレールを辿る音が響いて、吊り革に掴まって立つ人の服を、光が窓の形に切り取っていた。誰も喋らなかったけど、言葉じゃないものも耳を傾ければいろんなことを喋っていた。録音アプリでこっそり環境音を録った。帰り道で来た道の音を聴いて歩こう。

 

環境音を意識するようになったのは、「ほとぼりメルトサウンズ」という、新人監督の東かほりさんが撮った映画作品を観てからだ。年齢も出自も違う4人がなんとなく集まって環境音を集めて過ごした冬を撮ったもので、始まった時からじんわりと終わりを予感させる空気感が寂しくもあり、愛しくもある。家族でも友達でもない、最初は知り合いですらなかった、でも、間違いなく大切で大好きな時間。

下北沢K2シネマでこの映画を観たわたしは、なぜだかわからないけれど、ずっと泣いていた。終わらないでほしいものがたくさんあって、その大半は既に終わってしまっていて、終わった後の社会の中で「ここはわたしの場所ではない」と思いながら少しでも正しくなろうと生きている。その中で再びみつけたモラトリアムも、わたしのせいで、或いはそれぞれの人生のために、もう終わってしまった。受け入れられなくて、その尻尾をまた掴もうとして、前が向けなくて、いまだに過ぎゆく時間に引き摺られている。毎週のように囲んだ鍋のこと。一緒に包んだ餃子のこと。明日になってほしくなくて、寝たくなかった夜のこと。きっとそういうことがあるから、重なるものが多いこの映画が大好きになってしまったのだと思う。一緒にいた時間は、たとえ短期間でも、終わってしまっても、地面に埋めたいつかの音のようにどこかに残っている。思い出さなくても、忘れてしまっても、なにもなくても、絶対どこかに残っている。

正しい生き方とか、普通にならなきゃいけないという社会の圧とか、そういうものに押し潰されて色んなものが見えなくなっちゃった人に、この映画を薦めたい。終わってしまった大切なものがある人にも観てほしい。むしろわたしがまた観たい。

 

初めて東さんの名前を意識したのは「街の上で」のエンドロールで、その後も今泉力哉監督作品のエンドロールで何回か名前を見かけたことで東さんの存在をなんとなく知り、その東さんが監督した映画があると、フィルマークスで偶然知った。当時はK2シネマで上映していて、なぜか「今みなきゃ」って強く思って、嵐の日に電車で2時間かけて下北沢まで観に行った。たまたま舞台挨拶の回で、上映後に東監督とメインキャストの宇乃うめのさんとお話することもできて、パンフレットにサインも頂いた。サインは、サインそのものじゃなくて、サインを書いてもらいながら話したあの時間を思い出せるから嬉しくて大切なのだと思った。

 

ほとぼりメルトサウンズ、ミニシアターで1週間限定とかでやっていて、全国をまわって、わたしの地元の自慢の映画館でも上映・舞台挨拶をしていて、嬉しくて普段連絡をとらない両親に薦めた。今週東京に帰ってきて、吉祥寺で上映する。音の映画なので、行ける人はぜひ映画館で観てほしいなと思う。超いいよ。