フープフラフープ

はらの趣味です

親愛なるあなたたちへ

 

「そばかす」という映画のネタバレがあります。

 

夢だとわかる夢の中で映画館の大きいスクリーンに足を踏み入れたら、前の方の右寄りの席に知ってる後ろ姿が見えたから、隣に座って一緒に予告を観た。その後、夢が切り替わって、50人くらいで洋館のようなダークファンタジー的な場所でマーダーミステリーをする夢になった。iPadを使って謎を解くようになっていて、脳みそには黄色い部分と赤い部分と青い部分があって、みたいな内容だった。必死に謎を解こうとしていたら目が覚めた。

13:35だった。16:05の映画の約束があって、14:10くらいに家を出ないと間に合わない計算だった。すぐに「ちょっときわどい」と連絡を入れて高速でシャワーを浴びる。「はい言うと思った」というポプテピピックのスタンプがかえってくる。わたしの寝坊になれっこの友達に甘えて、いつもと同じように電車を一本遅らせて、へらへら笑いながら「ごめ〜ん」と謝り「いいのよ、あなたには期待してないから」と言われているはずだった。でもなぜだか今日は「映画、一緒にみたい」と強く思って、超急いで準備をして、家から駅までダッシュして、「間に合いました。」とラインを送った。後から聞いたら、絶対間に合わないと思ってのんびりしていたからわたしのラインを見てむしろ焦ったらしかった。わたしも支度を終えて電車に乗るまでは絶対に間に合わないと思っていたよ。

チケットの予約を任されて、電車の中で映画館のホームページをひらく。上映時刻が予定していた時間よりも40分遅い時間になっていて、それを見て今まで金曜日の上映スケジュールをもとに動いていたことに気付く。どのみち急がなくても大丈夫だったことに呆れながらも、慌ててまたラインをする。19時のごはんの予約にギリギリ間に合わないかもしれない、あなたに判断を任せる、と言われ、「早歩きしたくねえ」と思ったけど「映画みてえ」が勝ってチケットを予約した。同じスクリーンで観た別の映画のことを思い出しながら、その時と同じ列で席をとった。

駅で待ち合わせるのは構造上至難の技だったので、映画館で待ち合わせた。ポスターの写真を撮り、チケットを発券し、ロビーで映画が始まるのを待ち、パンフレットをふたりぶん買い、席についてりんごの飴を貰って舐めた。飴を舐めると口の中の天井のところが痛くなるのが苦手だったことを思い出した。小さくなった飴が天井にはりついた。チャイムがなって、予告が始まり、いつの間にか溶けてなくなっていた。

「そばかす」という映画を観た。映画としてどうこう、みたいなこと以前に、好きとか嫌いとか以前に、あまりにも自分と重なる部分が多すぎて、「この映画を、この人の隣で観るために、わたしはいつも映画を探していたのかもしれない」と思った。隣にいた友達は、まさにこの映画の真帆ちゃんみたいな存在だった。

友達とは、ずっと同じようにはいられないような社会構造のなかに、わたしたちは生きている。その中で「普通」の幸せに向かって進もうとしている友達のことを「あなたが幸せならわたしも幸せだ」と思える主人公と、そう思いたいけど素直に思えないわたしのこと。仕事を辞めようと決意して膝を立てる救命士のお父さんと、仕事を辞めたいのに辞められず文句たれているわたしのこと。「あなたがいるということが救いになる」と映画の後に別の道を歩んだ同僚と、「わかってくれる友達とずっと同じように遊んでいたい」と往生際の悪いわたしのこと。わたしの「こうありたい」「本当はこうでなくちゃいけない」が詰まっていた。辛かった。

終わった後、ご飯のお店に歩く時、靴擦れが痛むことに気づいた。それを伝える前に、「今日の靴、歩きやすい?靴擦れしてない?」って聞かれた。「歩きにくい、もう靴擦れしてる〜」と言ったら、「歩けなくなったら置いてくから頑張って来て」と言いながら歩調を合わせてくれた。お店はすごく遠くて、両の足首に赤い内出血がくっきりとはりついていた。

サラダと、肉と、デザートを食べながら、映画の話とか、2022年何をして遊んだかとか、買って良かったものとか、いろんなことを話した。早口で楽しそうにセーターの網目の話をしながら「いっぱい喋っちゃってごめんね」と言う姿をみて、映画の冒頭で宇宙戦争トムクルーズの話をする佳純の姿を思い出していた。「面白いからいいよ」と心の底から言えるのは、あなたのセーターの網目を好きな気持ちが本物だからなのだろうな、と思う。揺るぎない好きを持っている人は、たいへん魅力的だ。わたしもそうでありたい。そうでありたいから、そういう人たちに惹かれるのだろう。

会話が途切れたタイミングで、「いつ結婚するの」と聞こうとした。聞きたくないけど、この映画を観た今日、絶対聞かなきゃいけないと思った。そうしたら、「い」と言ったタイミングで相手がなにか言おうとして、「い」しか言えなかった。「なに?」って譲ってくれたけど、「ここで被っちゃったってことは、今日じゃないってことだ」と思って「なんでもないよ」と答えた。たぶん、なんでもなくないことがわかったのだろう、何度か「なに?」って聞いてくれたけど、言えなかった。本当はわかりきった事実を事実として知覚することがすごく怖かった。

その後もぽつりぽつりとどうでもいい話やどうでもよくない話をして、もう一度少しの沈黙が流れた時、「あなたはいつ結婚するの?」ということばがなんでもないように口をついて出てきたことに自分でも驚いた。「来年かな」と言うのが聞こえた。「そろそろ年貢おさめないと」「年貢for you」「年貢for you」「わたしはまだまだおさめられないなぁ」「そうねえ」そうねえ。そうなのよねえ。

寂しい、が一番にきたけど、それほどショックは受けなかった。そう思いたいだけかもしれないけれど、嬉しい気持ちもあった気がした。よくわからなかった。感情が動かないまま、またどうでもいい話をして、どうでもよくない話をして、カフェラテの写真を撮って、終電の時間を調べて、靴擦れにペンギンの古い絆創膏を貼って、トイレに行ったり会計をしたりして、店をあとにした。コートを忘れたままエレベーターに乗ろうとしたわたしに友達がびっくりしていた。わたしもびっくりした。

雨が降っていて、「コート濡れたくないから傘には入れないよ、やだよ、自分で買って」って言いながら、コンビニまで傘に入れてくれた。コンビニで傘を買って、開こうとしたらビニールが張り付いてうまく開けずに「えっ」と声が出た。「そういうとき「アエ」って言う人初めてみた」「どうしてみんなあなたの面白さを知らないんだろう、こんなに面白いのに」と言われた。それが全てだった。いつだってそういう言葉がわたしを救っていることにあなたは気づいていないのだろうなと思いながら、「アエなんて言ってないよ〜」と笑った。「言ってるよ〜」と友達も笑った。

傘を刺して、靴擦れが痛くないように爪先立ちで歩きながら、「これで良いお年をなの、本当に?」と言ったら、「良いお年をにしなくてもいいのでは?」と言われた。意味がわからなくてぽかんとしていたら、「年末あいてるの?」と聞かれた。本当にどこまで行ったってかなわない。相手の望みを察知することに長けた人間であることは知っているけれど、知らないふりをして「30あいてる、29まで仕事」と言った。携帯電話をみるそぶりを見せた後、「私も30あいてるみたい。なにしよっか」と言われた。今思えば、結婚の事実を寂しがるわたしのために時間を作ろうとしてくれたんじゃないかと思う。わたしは一度、30日のCDJの誘いを「予定がある」と断られていたから。

映画の終盤で佳純と真帆ちゃんが別れたみたいに改札の前で手を振って別れて、急に痛くなる靴擦れを気にしながらひとりでホームに辿り着き、人のまばらな電車に乗った。今日のことをツイートしながら、涙がマスクの中に入ってきて、できるだけ静かに鼻を啜る。思ったよりもちゃんと泣いてしまっている自分に驚きながらも、電車の中で泣いている人がいても誰もジロジロ見ようとせず、みんながスマホに目を落としている東京が好きだと思った。音を立てずに涙を出し切って、ポケットティッシュで鼻をかんだ。文藝天国と映画の主題歌を聴きながら、パンフレットを読みながら、最寄りに着く頃には日付がすっかり変わっていた。家に帰り、着替えてベッドに横たわり、パンフレットを読んでからブログを書き始めた。まだ公開するかは決めていない。わたしと友達の大切な話だから外に出しちゃいけない気もするし、大切だからこそわたしと友達がいなくなった後もインターネットのどこかに残っていてほしいって気もする。どちらにせよ、4時をまわる今夜更かしの倦怠感に襲われながらこれを書くことは絶対にわたしにとって必要なことだったのは間違いない。もう4時半になる。目元だけとっくに流れ落ちた化粧をビオレの化粧落としと想像よりもずっと冷たい水で洗い落とす。はやく寝なくちゃ明日も友達と遊ぶのだから。明日遊ぶ友達も、恋人との同棲をきっかけに遊ぶ頻度が減って、同じようにとても寂しく思ったのはもうかなり昔の話。もうすぐその恋人と結婚するらしい。みんな結婚するぜ、めでてえな、おめでとう。結婚しても、今までみたいに会えなくなっても、ずっとずっと、友達でいような。