フープフラフープ

はらの趣味です

大好きなCDをかけてあの頃にかえろう

 

ブログ書きて〜って思ってたし書くこともあったのに、書くのがめんどくさすぎて全然書いてなかった。やりたいとめんどくさいは両立する。しかもけっこう比例する。楽しいことはめんどくさいよね。

(「少女は卒業しない」についてざっくりとしたネタバレがあります)

 

今日は仕事を定時で終わらせて映画を観よう!って決めてたのに、結局1時間サービス残業して、急いでタイムカードを押して(なんでタイムカードあんのに残業代でないん)(なぜなら、みなし残業45時間だから!)、上映開始時刻の5分前に映画館に到着した。急いでお手洗いを済ませて、チケットを購入して、売店でホットドッグのドリンクセットとクレープアイスのいちご味を買う。仕事帰りの一本には、いつもこのメニューがお供してくれる。そしていつも売店の横でストローを刺して、ホットドッグにケチャップをかけて、ゴミをちゃんと分別して捨ててスクリーンへ向かう。普段の分別はちょっと適当な時もあるけど、こうやって「紙類」「プラごみ」とデカデカ書かれると、ちゃんとせざるを得ない。好きな場所で悪いことしてる気分になりたくないから。

7番スクリーンの入り口で、これから観る映画のポスターを撮影する。終わった後、いつもこの写真をTwitterにアップロードしている。ほんとうはインターネットでポスターの画像を保存したほうが見栄えがいいんだろうけど、写真が下手くそなのも含めて、見返したときに思い出すものが多い方がいいから。

座席は後ろから2列目の端っこ。学生の頃は前方が好きだったけれど、ここ数年は後ろの方で観るのがマイブーム。わたしの後ろに誰もいなかったから、上映中何度か振り返って映写室のガラス窓を眺めた。そこにうつる映画の光を見ると、なぜか嬉しくなる。嬉しい、は違うかも。当てはまる言葉が見つからない。坂元裕二の言葉を借りるなら、きっとわたしはみぞみぞしている。

「少女は卒業しない」は、取り壊しの決まった山梨県のとある高校の卒業式前日から当日までを描いた青春群像劇だった。原作者の朝井リョウは「桐島、部活やめるってよ」や「何者」のように「みんな持ってるけど持ってないふりをする汚い感情や意識」を描いた作品のイメージが強いけれど、この映画はそういった「ワー!やめて!」ってなるような要素はほとんど排除されていた。淡い片思いや進学に伴う関係性の変化、大きな喪失体験との関わりを、実感の湧かないライフステージの切り替わりを通して非常に爽やかに描いた作品になっていた。「終わってほしくない」という、人生の中に何度もあらわれたことのある馴染みの感情を見つめていると、この子たちはきっとこれから先にたくさんの大切な「終わらないで」があるのだということをとても羨ましく感じる。その尊さがわかっていても、いつだって「終わらないで」と気づくのは終わりのしっぽが見えてきた時だ。わたし自身の「終わらないで」の思い出と、気づかないうちに大切になっているのであろうこれから過ごすいつかの時間に思いを馳せる。

ベージュのカーディガンに丸メガネの藤原季節がめちゃくちゃよくて、あんな先生いたら絶対に一生片思いする自信がある。すらりと伸びるスラックスをみて、スタイルいいなあ一回でいいから近くに立ってみたいな、と思った。くそやろうの役も情けない役も、こういうふうに素敵な役もなんでもこなす彼には「季節」という名前がぴったりだ。

 

映画が終わり、出入り口のところにある今後の上映予定表をみて、「これが上映される頃にはもうこの映画館に来ることはないんだろうな」と考えたらすごく寂しくなった。どうやらわたしは、いつのまにかこの映画館をかなり好きになっていたらしい。こんなところでもまた、「終わらないで」が顔をのぞかせている。

車に戻ってからしばらく、映画館の外にいる警備員のおじさんの姿をぼうっと眺めていたら、高校3年生のときに片思いしていた別の高校の友達のことを思い出して、帰り道にその人が好きだった「Peace」を車で流した。笑うとあんぱんみたいでブサイクだったけれど、バスケ部で背が高くて、好きなもののセンスがよくて、彼を見上げながら話すとくしゃくしゃのあんぱんがオシャレに輝いて見えた。今は結婚して二児の父になった彼のインスタグラムで、あんぱんみたいに笑うかわいい子供達の顔をよく見かける。

このツアーのときに最前から2列目だったのに左隣の彼女絶対守るマンの肘が常に脇にヒットしていて最悪だったことを思い出した。ライブで彼女を守るな、音楽を聴け。