フープフラフープ

はらの趣味です

一緒にここから離れよう

 

ここ数ヶ月で急激に仲良くなったひとがふたりいる。好きなものがたくさんあって、好きなものをちゃんと摂取しているひとたちだった。

 

今日、その片方がSNSにアップしていた「あのこは貴族」という映画の感想を読んで、すごいなあと思ってこれを書いている。ちょっとした文章なのにそのひとが生きて重ねてきた教養だとか経験が詰まっていて、羨ましかった。

 

たまになんでそんなことで悩むんだろうってことでゴリゴリに悩むんだけど、先月はふたりと比べて自分の好きがなんて軽薄で浅はかなんだろうということでゴリゴリに悩んだ。

本当にそのコンテンツがすきで摂取しているわけではなくて、摂取したコンテンツで自分を保っているような気がしてしまって。

 

今まで、自分と自分の好きなものに自信がなくて、好きなものを好きだと思ってもひとと深く共有してこなかったから、好きなものの話をするのがすごく下手だ。

なにがどう好きなのかも説明できないし、感じたことも適切な文章に残せない。

好きなのに知らないこと、知らなくていいと思っていることが多すぎる。

今まで意識したことがなかったその事実がわかってしまって、好きのスタンプラリーだけしてきたんじゃないかって、この6年間はなんだったんだろうって思ってしまった。

 

そもそも、趣味を多く持とうと思ったきっかけが他人に依存しなくても生きていけるようにするためだった。

好きなものが増えて生きるのが楽しかったし辛さも紛れた。

そうやって体の表面にだけいろいろなコンテンツを貼りつけて、わたしは中身のある人間ですよ。ひとりでも楽しく生きていけますよ。って自分の形を保っていたんだと思う。

6年間で得たはずだったたくさんの好きが全部ぺらぺら剥がれていくような気がして、悲しくなっちゃってた。

 

だけど2人に会えたのはその空っぽの好きがたくさんあったからだし、音楽を聴いて映画を観て流した涙はちゃんとしょっぱかったし、歌詞に支えられて仕事も頑張れたし、写真に残した横顔は大切な思い出だし、映画館で映画が始まる瞬間の違う世界に行くような感覚だって確かに本当のことだった。

 

 

今までの長い長い27年間で好きを丁寧に処理してこなかったことは本当に勿体ないけど、これからそのアップデートをしていったらいいんだと思って、昔好きだったものを少しずつ改めて摂取している。

そしたら全然違うものに見えてきて、もっと好きになったりして、この歳になって新しい好きに出会えていることがすごく楽しい。

 

そうやって自分と向き合うだけじゃなくて、ふたりから教えてもらった新しい世界もたくさん広がっていて、ふたりといつまで一緒にいられるかはわからないけれど、ふたりと出会えたことはわたしの人生のちょっとした転機だと、こっそりすごく感謝している。