フープフラフープ

はらの趣味です

わたしたちの言葉がなくなりませんように

よく家賃払い忘れてるし、コイツめっちゃだらしないなって思ってた人もたくあんと自炊のエントリ見て意外とやるじゃんって思ったでしょ?

 

部屋がたくあんの匂いになっちゃった。

 

たくあん、半分は3日漬けておいしくできたんだけど、残りを味付けから取り出すのをさぼって5日漬けちゃったのね。そしたらすごい味濃くなって、おいしくなくて、冷蔵庫にずっと眠らせてた。でも日に日にしわしわになっていくたくあん見てたらわたしがケリをつけてあげないといけないと思って、ついにたくあんをゴミ袋にぽいしたんだ昨日。今日は結婚式があって、朝早く出て夕方に帰ってきたら部屋がたくあんの匂いになっていた。ずっとじゃないけど、なにかしているとほんのりたくあんの匂いが漂ってくる。帰りに買ってきたトップスの紅茶ケーキ(おいしい)を食べている時にたくあんの匂いがして悲しくなっちゃった。あんなに楽しくたくあんを漬けたのに。さっきゴミ袋の口を縛って玄関に隔離した。ごめんね。

友達がたくあんを漬けている。嬉しい。たくあんは食べる時も幸せだけど、漬けている時がいちばん幸せだと思う。一緒にいない時も知らない間に同じ幸せを共有できることが嬉しいから、みんなたくあん作ってね。もし漬けすぎちゃって捨てるときは気をつけてね。

 

わたしのツイッターのおすすめ欄では常に誰かが何かに怒っている。男の人と女の人がお互いに怒っている。新たに決まった国の制度に怒っている。お笑い芸人の不謹慎なネタに怒っている。映画館の治安に怒っている。

わたしもいつも怒っていたらしい。3年前に知り合って親友になった人が「最近全然怒らなくなったね。出会った頃はずっと怒ってたしずっと文句言ってたよ」と言ったから本当にそうなんだと思う。怒っている自覚がなかったから驚いた。当時と比較すると仕事のつらさがだいぶ減ったので、そのぶん穏やかになったんだと思う。

でも今だってそれなりに怒っているよ。本当は色々なことを言いたい。だけど怖くてツイートできない。だから共感のできる怒りを目にすると、怒っているのはわたしだけではないのだと安心する。嫌な気持ちにもなる。特に男と女で怒り合っているのを見るのはとても嫌だ。わたし自身が男の人に怒っているということに気づかされるのが嫌なのだ。だってわたしが怒りを向けている「男」というカテゴリには、そこに含まれないはずの大好きな人たちも含まれているから。でも怒りが存在すると頭がいつもより悪くなって細かいことができなくなって、怒りの対象の限定化を怠り「男」のような広いカテゴリで括ってしまう。違うのに。こんな風に思いたいわけじゃないのに。

そうは言ってもエンタメ公演のルール違反人間は本当に嫌いだし、これに対しての怒りには共感はあれど嫌悪感はない。スマホ見たり、ずっと喋ったり、そういう行動によって一緒に映画を観ている他の観客の映画体験を阻害してくる人は大嫌い。そこにいる全員が等しく金と時間払ってんだぞ。だから遭遇する度に怨念を飛ばして呪いをかけている。フォロワーさんが映画楽しめなかったツイートを見た時も怨念を飛ばしている。わたしの念はけっこう強いから、呪われた人はちょっと嫌な目に遭って今後映画館でルール違反ができなくなるよ。なればいいよ。

怒りのツイートのおかげで気づけることもある。わたしは社会勉強が足りないので、これは怒らなきゃいけないんだとか、これで怒る人もいるんだとか、そういう気づきを得ることが多い。大人になるのが遅いから、知らなくちゃいけないのに知らないことがたくさんある。いや、知らないことがたくさんあるから、大人になるのが遅いんだ。

ツイッターはツイートを読みたい人をフォローして好きな人だけのタイムラインを作れるSNSだから、節度を守ればある程度のことは好きにツイートしていいと思ってる。わたしも怒るし、フォロワーさんの誰かが怒っていても別に嫌じゃない。だけどおすすめ機能ができてそうもいかなくなってきているから難しいね。好きじゃないツイートも流れてきてしまう。本当の気持ちをツイートしようとしたら誰も傷つけないツイートなんて無理なのにね。本当はわたしたちみんなこんなふうに傷つかなくていいはずなんだ。

 

 

暗い話になってしまったので最近触れた面白コンテンツの話題で締めようと思います。

 

昔よく行った中華料理屋が「ファミレス行こ。」(最近映画化した「カラオケ行こ!」の続編の漫画)の聖地になっていたので友達を誘って行ってきた。ついでにまだ読んでいなかったファミレス行こ。を買って読んだらすごかった。馴染みの店がそのまんまでてきて嬉し~!とか思う余裕もないくらいの衝撃を受けて、この続きが数年出ないということに打ちのめされた。続き読むためにだれかタイムマシンを発明してくれないかなア~!

 

ハイキュー!!」というバレー漫画のアニメを全部観ている。大学時代に大好きだったけど途中で読むのをやめてしまった作品(何巻まで買ったか忘れて嫌になってしまったため)。今やっているハイキュー!!の映画を万全の状態で観るために25+25+10+25話を頑張って観ているが、しんどいなんて少しも思わないくらい面白くて驚いている。クール毎に描きたいテーマがあって、それらを乗り越える度に主人公チームの輪郭がだんだんと濃くなっていく感覚に何度も胸を焦がされた。ひとりひとりのキャラクターに物語と信念があって、気づいたら敵も味方も全員好きになっている。あと月島蛍という性格の悪いメガネが死ぬほどかっこいいので、ずっと月島の方ばかり見ています。

 

「違う惑星の変な恋人」「このハンバーガー、ピクルス忘れてる。」を新宿武蔵野館で観てきた。会話劇は会話劇でも全体的にナンセンスな会話が多くて、ナンセンス議論大好きなわたしはすっかり夢中で観てしまった。後者はドラマの再編集なのもあって映画的な物語の盛り上がりはあまり感じられないけど、それでも映画館で観てよかったと強く思う。座席に沈み込みながらこのナンセンス会話劇を浴びていたら、「映画を観る」という、社会生活において(映画と関係のないところで働くわたしの社会的価値には影響しないという意味で)意味をなさないこの時間がわたしにとっては本当に大切なのだと実感する。

 

とりあえず机の上に出しっぱなしのケーキのごみを片付けて、それができたら寝よう。もう1時半だ!