最近換気にハマっている。
ほんとうは換気ってハマるハマらないに関係なくしなきゃいけないことなんだろうけど、わたしは換気が苦手だった。
前に住んでいた家は、一度も換気せずに引っ越した。
その前に住んでいた家も、たぶん換気してない。
その前はたまに親が来た時に(親が)換気してたけど、その時だけ。
母親に対して、この人なんでこんなに換気したがるんだろうって思ってた。
どうして換気が苦手なのか。改めて考えると難しい。
①子供の声が苦手だから
普通の声なら大丈夫なんだけど、叫ぶ音がとても苦手。窓を開けているとダイレクトに金切り声がくることがありしんどい。
②窓の前に物があるから
我が家の物干し竿は窓のところについているため、常に洗濯物がぶらさがっている我が家では窓にアクセスしにくい。また、床に段ボールが並んでおりそれもかなり邪魔。
③外と繋がっているかんじが嫌だから
部屋というプライベート空間が侵害されているような気がする。
④よさがわからないから
別に行わなくても困ってない。
⑤なんとなく嫌だから
結局よくわからない。なんとなく嫌だからって理由がいちばん大きい。
そんなに嫌なのに換気をするようになったのにはきっかけがある。
同僚が「窓を閉め忘れてないかチェックするのが面倒だから、彼女が換気をしたがっていても拒否している」と話していたことだ。上記の通りわたしも換気が好きではないので気持ちはよくわかるが、希望者がいるなら換気はしたほうがいい、と伝えた。彼は「検討します」と言った。他の同僚はみんな「絶対に換気したほうがいい」と主張していた。
換気ってそんなにいいもんかな。でも、あんまり自分でやったことのないことを否定するのは違うよなって思って、翌日の午後に窓を半分開けてみた。
そうしたら、すごく気持ちがよかった。
風が吹くとレースカーテンといっしょに光が揺れて、車や電車の音がときおり遠くから聞こえてくる。その後ろで、意識しないとわからないような「外の音」が絶えず流れ続けていて、今、街の中にいる、というかんじがする。
外の光と音から遮断されて生活するのは寂しいのだと、初めて思った。
大学時代は授業にあまり出ず昼夜逆転の生活をしていて、昼に起きている日もカーテンはずっと閉めていて、たまに外出して太陽の光を浴びた時の眩しさにやられる感覚が吸血鬼みたいで気に入っていた。明け方に部屋が少しずつ明るくなっていく中眠りにつくのが好きだった。
でも社会人になって吸血鬼ではいられなくなり、強制的に人間にさせられてしまった。人間はかなりしんどいけど、日中にも素晴らしいものはたくさんあった。換気は、その素晴らしいものの中のひとつだと思った。
換気のよさに気付いてから、週に2回程度は換気をするようになった。
換気がしやすいように、洗濯物をしっかり取り込んだり段ボールを片付けたりしたいと思うようになった。
そういうわけで、なにも予定のない日に少しずつ部屋を片付けている。
片付けというものがめちゃくちゃ苦手なので、普通の人の10%にも満たない進行速度だけど、週を追うごとにゆっくり部屋が片付いていくのが嬉しい。
片付けも、「入れ物」がちゃんとあればそこまでしんどくないことがわかった。
だから少しずつ収納を充実させようと頑張っている。
最近買った無印の木箱がなかなかよかった。アーティストグッズをそこにしまったら、床がめちゃくちゃすっきりした。
収納ってすごいよ。