フープフラフープ

はらの趣味です

不純な自分を騙してごめんな

 

先週末、同僚から「ブラックパンサーみにいこうよ」とラインがきた。「水曜どう」って送ったら「そうしよう」ってかえってきた。映画行きたいね〜と普段から言い合っているけれどなんだかんだ日程が合わずわたしが勝手に観に行ってしまうので、貞子DXぶりのふたり映画の約束だった。そこから何回か寝て起きてを繰り返して、楽しみにしていた今日がやってきた。お互い仕事を定時で終わらせて、わたしの車に乗って、まずはお腹を満たしに向かう。せっかくだしちょっと奮発しようか〜とうなぎを食べに行った。久しぶりのうなぎは超おいしかった。

そこから映画館に向かおうとしたら、「時間あるし、普段使わない道で遠回りしてこうよ」と言われた。素敵な申し出にわくわくしながら言われるがまま運転して、職場を通り過ぎて「車通っていいのか?」ってくらいの対向車来たら終わるかんじの田んぼの間の道にのろのろ侵入していった。街灯なんかひとつもなくて、「これ絶対くねくねいるよ!」とか言いながら運転してたら「車の電気消したら真っ暗じゃない」って言うから、その場に車を停めてエンジンを消してみた。まじで真っ暗で本当にくねくねを目撃しそうだったのですぐにエンジンをつけようとしたら、エンジンがつかなかった。3回くらいやり直すうちに(終わった…JAFだ…)と変に冷静になっていたらシフトレバーがドライブになっていることに気づいて、パーキングに戻したら普通にエンジンがついた。「ホラー映画みたいだったね」って笑われた。本当に映画だったらあの後「おかしいな〜?」って外に出た瞬間に田んぼに引き摺り込まれたり、車に戻ってエンジンをつけたらバックミラーになにかがうつってたりするんだろうな。ホラー映画の登場人物たちがトラブルに巻き込まれて無防備なまま死んでいくの、もう少し警戒せえよと思っていたけれど、実際にエンジンがつかなくなった時わたしはおばけではなくJAFのことを考えていたのでわたしも警戒しないままやられていくんだろうなと思った。その後「このバックミラー怖いねえ」と言われて、気づいてしまった。わたしの車のバックミラーはただの鏡じゃなくてカメラタイプのやつなので、ほん怖の投稿映像みたいな画質のかなり悪い暗闇が映っていたのだ。怖さって気づくか気づかないか本当に紙一重のところにあって、気づかなければなんともないのに、一度怖いと気づいてしまったら思い出すたびに怖くなってしまう。例えばカーテンの隙間とか、電源の落ちたテレビにうつる部屋とか、そういう何気ないものが「なにかをうつしかねないもの」に変貌する。

そんなこんなで細い道を側溝に落ちないようにゆっくりゆっくり走って、ナビだと行き止まりになっている道の手前の交差点に来た。「この道でバックしたら田んぼ落ちる」と言って曲がろうとしたら、「バックしなきゃになったら運転するから」と説得され(といってもわたしもけっこう乗り気で)その道をまっすぐ進んだ。そうしたら途中で道がぐいんと右に曲がっていて、少し高い場所にある道に出た。左は川だった。ひとりだったら絶対進めなかった道を進んできて、知らない場所を探検して、いろんな怖さを混ぜた興奮もあって、ガードレール越しの細くて黒い川がきらきら光ってみえた。ドライブってこんなに楽しいんだと思った。あの川を忘れたくなくて、今日はブログを書こうと思った。

そこからなんとなくで道を進んでたら大通りに出て、知ってる道に来て、映画館に到着した。ロビーのソファでぼけっとしながら頭上のモニターの予告の音声を聞いて、たまにひとことふたこと喋る、みたいなのを20分くらいやって、漸く入場時間になった。

いちばん奥の狭いスクリーンで、お客さんはわたしたちともうひとりしかいなかった。いちばん手前の大きいスクリーンの「すずめの戸締まり」と同日公開なのにえらい格差だなと思った。

映画はとても長く感じた。スプラトゥーンで寝不足だったのと、うなぎでおなかがいっぱいだったのもあって、中盤かなりうとうとして何回か寝てしまった。映画、ちゃんと観たかったと思う反面、好きな食べ物でお腹がいっぱいになって好きな場所で好きな友達の隣でうとうとできるなんて、最高かもしれないと思った。映画をちゃんと観られなかったこと、車で冒険したこと、今後この映画を観るたびに思い出すんだろうな。うとうとしながら、アントマンワスプもだいたい同じ状況で寝てしまったことを思い出したりしていた。その時は爆睡だったな。

帰ってから映画の感想をFilmarksにしたためて、下書きのまま投稿できないでいる。簡単に言葉にするには映画に背負わせているものが大きすぎるし、数秒間とはいえ何度も寝てしまっているため「寝たやつが一丁前にこんなこと言っていいのか」という気持ちもある。映画の感想ってとても難しい。いいところをたくさん見つけて残したいと思う反面、合わなかったところや納得いかない部分をなかったことにしてしまうのも違う気がする。だからといってそういうことをしっかり書くと、なんかいやな感じのレビューになってしまう。感想を感想として、そこにないはずだった悪意や貶めを感じさせずに書けるようになりたい。レビューがうまいひとの批評や指摘は、読んでも嫌な気持ちにはならないから。

わたしは臆病だから、一緒に観た人への忖度もレビューにあらわれてしまうことがある。だれかが好きと言う映画に低評価をつけたり自分と合わなかった部分の指摘をするのは、そんなことなくてもその人の思い出を貶めているような気がしてしまう。だれかと観る映画が、わたしにとっては思い出だからかもしれない。そんなこと言ったらなんにも書けなくなっちゃうし、忖度にまみれた感想なんてなんの面白みもない。だから、臆することなく真っ直ぐに「好きじゃない」「よくない」を言える人が羨ましいし、そうでありたいと思う。

そんなこと考えながら同僚がFilmarksに投稿したレビューを読んだら、わたしと同じようなことを考えていてとても安心した。違うからこそ面白い、もあるけど、同じだから安心する、も確実にわたしの中にある。わたしにとってはどっちも必要でどっちも大切だから、わたしも心からの「好き」「好きじゃない」をちゃんとレビューに残したいと思った。