フープフラフープ

はらの趣味です

きみと映画は棚の奥で

 

 

映画がすきで、映画ばかり観ている。

 

記憶だと大学3年生の頃に恋人にふられたのがきっかけで映画を観るようになったはずなのだが、この間掘り起こされた日記によるとその人と付き合う前からTSUTAYAに通って映画をまあまあ観ていたようだ。中学生の頃の遊びの数割は映画が占めていたし、よくよく思い返すと小学生の頃から1人映画をしたりすきな映画のために何度も映画館に足を運んだりしていた。幼稚園の頃に、まだ自由席だった映画館の階段に父と立って並んでいた朧げな記憶だってある。

 

そういうわけで、映画の神様はわたしのことを知らないだろうけど、映画鑑賞の神様はわたしのことがちょっとだけすきだと思う。

 

その神様のおかげか、映画を観た時のことはだいたい覚えている。映画の内容よりその前後の記憶の方がはっきり残っていることすらある。

誰かと観た映画ならなおさらそうだ。

 

例えば、小学生時代の一人映画の後に必ず行ってポイントカードがいっぱいになった砂場という蕎麦屋のきつねうどん。

R15の「スウィーニー・トッド」を観た後にbearという店でプリクラを撮った14歳の冬。

高3、受験生の夏、フードコートで勉強中に友人に勧められてその場で勉強を切り上げて観た「コクリコ坂から」。

大学時代「何者」を観て小走りで帰った夕方になりきらない夕方。

平日にガラガラの劇場で観た「ミックス。」のキスシーンで黄色い悲鳴をあげていた小学生たち。

親友と六本木で観た「JOKER」は本編開始後にぞろぞろと20人くらい人が入ってきてまともにオープニングが見られなかった。

鍋を囲みながら観た「ベイビードライバー」に興奮して、酔った勢いで一緒に観た友人に送りつけたサウンドトラックは今はわたしの家にある。

エヴァンゲリオンシリーズは新旧含めて本当に色々な人と観た。

 

そうだ、思えば誰かとの初めてのキスは、全部がなにかしらの映画を観た後のものだった。映画デートは好きじゃないなんてどの口が言えたもんだかね。ごめんね、神様。

 

 

映画に伴う思い出は音楽と同じで、再視聴の時に懐かしい感覚と一緒にその時の情景が浮かぶ。

会話、表情、立ち位置、空気、気持ちが、ワンカットで頭の中の映画の棚に保存されている。

手前の方にある記憶なら、簡単に手に取って再生できる。

 

それは嬉しいことばかりではなくて、すきだった人がわたしをすきじゃないと気づいた日に観た「街の上で」は、本当だったら好きな映画のはずなのに思い出が邪魔をしてまだ観ることができない。

 

これを書きながらその思い出が以前と比べて少し曖昧になっていたのも感じた。

引っ張り出さない思い出は、いつか棚の後ろの方に埋もれていく。

こんな悲しいもの全て後ろで溶けて輪郭を失くして曖昧に優しいものだけが残ったら良いのに。と思う一方で、しまいこんでおけばいつかふとした拍子に拾い上げて愛しく思えたりするかもしれないと、だから消えないでほしいとも思う。

 

思い出を丁寧に処理していくことが簡単にできないのなら、そういう愛し方だって間違ってはいないのだと思いたい。

いつかふとした拍子に観る「街の上で」が、どうかその時のわたしにとって素敵な映画でありますように。