フープフラフープ

はらの趣味です

きみと雷を見た午後

 

こんな日常が一体何になるんだろう、と思いながら過ごしている。

月曜日から土曜日まで起きたらすぐ仕事に行き、夕方まで仕事をして、ご飯を買って帰って食べて、食べながら動画を観て、ポケモンレジェンズアルセウスをやって、スマホをいじっていると寝る時間になる。仕事のない日は、映画を観に行くか家でなにもしないかのどちらかしかない。たまに、友達と遊ぶ。

 

それが全く楽しくないわけじゃない。でも、こんな風に過ごして一年後五年後十年後に残っているものなんてきっと何もない。

こんなにも意味のない毎日を過ごして、今はよくても何もない未来のわたしは大丈夫なんだろうか。きっと大丈夫じゃない。なんなら今もう既に大丈夫じゃない。

 

毎日に意味がないのなら、こんな辛い思いまでして働く理由もなくなってしまう。

いや、そりゃあまあ、生きるためには仕事は必要だし、餓死もホームレスも嫌だけど、生きるのを辞められるボタンがあるのなら押させてほしいなって思ってるよ。死ぬボタンじゃなくてね。死ぬのは嫌だから。

 

恋人でもいたら違うのかもしれないと思う。

一年前の恋人とは最初から結婚はしないだろうなと思って付き合っていたけれど、好きだったし一緒にいたら楽しかった。あの日々が何も残らないものだとは思えない。

例えその人との未来が途切れたとしても、そばで日常的に生活を共有できる人がいたのなら、何もしなくたってそれだけで人生の歴史のひとつになっている。気がする。

結婚って、きっと、何もない人が手っ取り早くわかりやすく何かを残した気になれる手段なのかもしれない。結婚した人のほとんどはそうじゃないと思うけど、一部の人にとっては。

今のわたしの結婚や恋愛に対するモチベーションはそういうクソみたいな方向性のものなので、婚活はなんにもできていないし、アプリもまた1週間で辞めてしまった。

わたしのことをまぁまぁ知っているまぁまぁタイプな人間と、まぁまぁな距離感で付き合ってる状態に明日からなれたらいいのにと思う。

でも本当は、好きだと思える人間と、恋とか愛とかじゃなくて、何も考えずただ一緒にいられたらいいのにと思う。

 

昨日観た「愛なのに」という映画のエンドロールで流れた「低い飛行機」という曲が、とても刺さっている。

"一生かと問われればためらう心を斬新な瞳でどこまでも連れ去ってほしいこんなにも好きよ"

今でもたまに、きみと人工衛星を探した肌寒い夜を思い出すよ。