フープフラフープ

はらの趣味です

ずっとここにあるよ

ハイキュー!!の映画を観るために2月19日からアニメをマラソンしていた。本編85話+番外編5話の計90話を、ちょうど4週間かけて観たことになる。長いようであっという間で、烏野の人たちと一緒に泣いたり笑ったりドキドキしたりするのがすごく楽しかった。映画もめちゃくちゃ楽しみだけど、この楽しい時間が終わってしまうのがすごく寂しい。受験に合格してあとは卒業式を待つだけになって、追われるものがなくなって空っぽの状態でだらだらする幸せを満喫したあの期間みたいだ。

 

今観たい映画ランキング

  1. ハイキュー!!ゴミ捨て場の決戦
  2. DUNE 砂の惑星 PART2
  3. アーガイル
  4. 変な家
  5. 落下の解剖学
  6. ドラえもん 地球交響曲

未公開だと、デデデデ、ゴーストバスターズオッペンハイマーあたりが楽しみ。DUNEは時間が長いから元気な時しか行けないよなあ。変な家は原作ファンに不評みたいだけど、ホラーは文章と映像で恐怖の軸や受け手が使う脳の部分が変わるから、原作ありホラーって映像化するの難しいだろうなあって思う。あたしゃぶっとびトンデモホラーが観たいぜ。

 

改めてハイキュー!!、本当によかった。原作も大好きだけど、この作品は映像化がものすごく映える。スポーツ作品だから映えるっていうのもあるし、意外と原作の文字の量が多いから、文章が文字ではなく音声として流れていく方がテンポがよくて馴染みやすく感じる。なにより、スピード感・迫力の漫画的表現をうまくアニメーションに落とし込めていることが大きい。『令和ロマンの娯楽がたり』でくるまさんが”リアルとリアリティ”の話をする際に、漫画とアニメーションだと想像の余地が広い漫画の方が好きだというようなことを言っていた(気がする)。確かにアニメ化して思っていたのと違ったり映像がしょぼかったりするとがっかりするけど、その想像の上をいくアニメーションを見せられたとき、アニメが大好きなのだということを強く実感する。文章、漫画、音声、アニメーション、実写、その他にも創作媒体ってわたしが考えつくよりきっとずっとたくさんあるんだろうけど、時間をかけて何本もの作品に触れていく中で”その媒体だからこその表現”を活かしている作品に出会えたとき、『ハイキュー!!』でキャラクター達が体感していた”バレーを好きになる瞬間”と同じ類いのものを得られている気がする。その感覚が忘れられないから、わたしは創作物が好きなのだと思う。

 

ハイキュー!!の余韻に浸りたくて、すぐに主題歌のプレイリストを作って、流しながら洗濯物を干したり歌ったり踊ったりごろごろしたりしていた。『イマジネーション』と『天地ガエシ』以外はフルでちゃんと聴くのが初めてで、TV版との違いを見つけていくだけで楽しい。うちのテレビは音が悪いので、スピーカーで改めて聴くとベースがよく聞こえる。たとえばtacicaの『LEO』なんかTV版と全然印象が変わる。ベースが静かに力強く動いていて、それこそ烏野の選手たちみたいで、コピーしたらすごく楽しくて気持ちいいだろうなあと思った。どの曲もアニメで聴いた時よりずっとずっと好きになった。ハイキュー!!の主題歌順番にカラオケで歌う遊びがしたい。

tacicaをわたしに教えてくれたのは、高校時代に組んでいたバンドのギターの女の子だった。その子はBUMPが好きで、「北のBUMPって言われてるバンドがあるよ」と『jacaranda』のCDを貸してくれた。一緒に東京ワンマンに行って、出待ちして猪狩さんにサインを貰った。当時のわたしは出待ちってなにをすることなのか知らなかったからサインを貰うものがなくて、失礼ながら折りたたみ傘の薄ピンクの袋にサインをいただいた。彼女は他にも様々な音楽を知っていて、ギターが上手でおしゃれで賢くてかわいらしい子だった。

その子含むバンドメンバーと、数年ぶりに今日集まった。知り合ってから15年くらい経つのに3人とも見た目が全然変わってなくて、わたしも「全然変わらないね」って言われた。だけどギターはあの頃知らなかったロングコートダディのステッカーをスマホケースに入れていて、ドラムはどんどん転職して違う世界に行こうとしていて、ボーカルは結婚して子供ができていた。あの頃開いていなかったピアスホールがみんなの耳にあった。会わない間に知らないことが増えて、言葉と言葉の隙間を埋めるように近況報告や思い出話をする。何を話そうかと少し無言になる時間があったりして、正直「時間なんて少しも経っていないかのように大いに盛り上がる」なんてことはなかったんだけど、そのぎこちなさが愛おしかった。その間を手探りで埋める作業こそが、大人になったわたしたちに必要な作業なのだと思った。また近いうちに3人に会いたいと思った。

同時に、取り巻く環境によって価値観や倫理観が大きく変わるのだということを実感させられた。普段接している人は同業種の人しかいないしインターネットの友達とは仕事の話はしないから、他業種の人と仕事の話をしたのは久しぶりだった。わたしの根底は揺らいでいないと思うけど、いつのまにか失っちゃいけないものまで失っていたかもしれないことに気づいて、このまま今の考え方にどっぷり浸からないように気をつけようと思った。3人とも優しく素敵な大人になっていて、とても羨ましかった。

帰りにちらりと見えたドラムのスマホの待ち受けがaikoで、高校時代からずっと彼女の大好きなものが変わっていないことに嬉しくなった。変わっていくことが当たり前であり、良い変化は退化ではなく進化なのだから絶対あった方がいい。だけど変わらない物が光って見える。思い出が輝いている。共通の記憶を確かめ合うことが、嬉しくて仕方ない。大好きだったあの時間が確かなものであったと、ずっとどこかに残しておきたい。

わたしたちの言葉がなくなりませんように

よく家賃払い忘れてるし、コイツめっちゃだらしないなって思ってた人もたくあんと自炊のエントリ見て意外とやるじゃんって思ったでしょ?

 

部屋がたくあんの匂いになっちゃった。

 

たくあん、半分は3日漬けておいしくできたんだけど、残りを味付けから取り出すのをさぼって5日漬けちゃったのね。そしたらすごい味濃くなって、おいしくなくて、冷蔵庫にずっと眠らせてた。でも日に日にしわしわになっていくたくあん見てたらわたしがケリをつけてあげないといけないと思って、ついにたくあんをゴミ袋にぽいしたんだ昨日。今日は結婚式があって、朝早く出て夕方に帰ってきたら部屋がたくあんの匂いになっていた。ずっとじゃないけど、なにかしているとほんのりたくあんの匂いが漂ってくる。帰りに買ってきたトップスの紅茶ケーキ(おいしい)を食べている時にたくあんの匂いがして悲しくなっちゃった。あんなに楽しくたくあんを漬けたのに。さっきゴミ袋の口を縛って玄関に隔離した。ごめんね。

友達がたくあんを漬けている。嬉しい。たくあんは食べる時も幸せだけど、漬けている時がいちばん幸せだと思う。一緒にいない時も知らない間に同じ幸せを共有できることが嬉しいから、みんなたくあん作ってね。もし漬けすぎちゃって捨てるときは気をつけてね。

 

わたしのツイッターのおすすめ欄では常に誰かが何かに怒っている。男の人と女の人がお互いに怒っている。新たに決まった国の制度に怒っている。お笑い芸人の不謹慎なネタに怒っている。映画館の治安に怒っている。

わたしもいつも怒っていたらしい。3年前に知り合って親友になった人が「最近全然怒らなくなったね。出会った頃はずっと怒ってたしずっと文句言ってたよ」と言ったから本当にそうなんだと思う。怒っている自覚がなかったから驚いた。当時と比較すると仕事のつらさがだいぶ減ったので、そのぶん穏やかになったんだと思う。

でも今だってそれなりに怒っているよ。本当は色々なことを言いたい。だけど怖くてツイートできない。だから共感のできる怒りを目にすると、怒っているのはわたしだけではないのだと安心する。嫌な気持ちにもなる。特に男と女で怒り合っているのを見るのはとても嫌だ。わたし自身が男の人に怒っているということに気づかされるのが嫌なのだ。だってわたしが怒りを向けている「男」というカテゴリには、そこに含まれないはずの大好きな人たちも含まれているから。でも怒りが存在すると頭がいつもより悪くなって細かいことができなくなって、怒りの対象の限定化を怠り「男」のような広いカテゴリで括ってしまう。違うのに。こんな風に思いたいわけじゃないのに。

そうは言ってもエンタメ公演のルール違反人間は本当に嫌いだし、これに対しての怒りには共感はあれど嫌悪感はない。スマホ見たり、ずっと喋ったり、そういう行動によって一緒に映画を観ている他の観客の映画体験を阻害してくる人は大嫌い。そこにいる全員が等しく金と時間払ってんだぞ。だから遭遇する度に怨念を飛ばして呪いをかけている。フォロワーさんが映画楽しめなかったツイートを見た時も怨念を飛ばしている。わたしの念はけっこう強いから、呪われた人はちょっと嫌な目に遭って今後映画館でルール違反ができなくなるよ。なればいいよ。

怒りのツイートのおかげで気づけることもある。わたしは社会勉強が足りないので、これは怒らなきゃいけないんだとか、これで怒る人もいるんだとか、そういう気づきを得ることが多い。大人になるのが遅いから、知らなくちゃいけないのに知らないことがたくさんある。いや、知らないことがたくさんあるから、大人になるのが遅いんだ。

ツイッターはツイートを読みたい人をフォローして好きな人だけのタイムラインを作れるSNSだから、節度を守ればある程度のことは好きにツイートしていいと思ってる。わたしも怒るし、フォロワーさんの誰かが怒っていても別に嫌じゃない。だけどおすすめ機能ができてそうもいかなくなってきているから難しいね。好きじゃないツイートも流れてきてしまう。本当の気持ちをツイートしようとしたら誰も傷つけないツイートなんて無理なのにね。本当はわたしたちみんなこんなふうに傷つかなくていいはずなんだ。

 

 

暗い話になってしまったので最近触れた面白コンテンツの話題で締めようと思います。

 

昔よく行った中華料理屋が「ファミレス行こ。」(最近映画化した「カラオケ行こ!」の続編の漫画)の聖地になっていたので友達を誘って行ってきた。ついでにまだ読んでいなかったファミレス行こ。を買って読んだらすごかった。馴染みの店がそのまんまでてきて嬉し~!とか思う余裕もないくらいの衝撃を受けて、この続きが数年出ないということに打ちのめされた。続き読むためにだれかタイムマシンを発明してくれないかなア~!

 

ハイキュー!!」というバレー漫画のアニメを全部観ている。大学時代に大好きだったけど途中で読むのをやめてしまった作品(何巻まで買ったか忘れて嫌になってしまったため)。今やっているハイキュー!!の映画を万全の状態で観るために25+25+10+25話を頑張って観ているが、しんどいなんて少しも思わないくらい面白くて驚いている。クール毎に描きたいテーマがあって、それらを乗り越える度に主人公チームの輪郭がだんだんと濃くなっていく感覚に何度も胸を焦がされた。ひとりひとりのキャラクターに物語と信念があって、気づいたら敵も味方も全員好きになっている。あと月島蛍という性格の悪いメガネが死ぬほどかっこいいので、ずっと月島の方ばかり見ています。

 

「違う惑星の変な恋人」「このハンバーガー、ピクルス忘れてる。」を新宿武蔵野館で観てきた。会話劇は会話劇でも全体的にナンセンスな会話が多くて、ナンセンス議論大好きなわたしはすっかり夢中で観てしまった。後者はドラマの再編集なのもあって映画的な物語の盛り上がりはあまり感じられないけど、それでも映画館で観てよかったと強く思う。座席に沈み込みながらこのナンセンス会話劇を浴びていたら、「映画を観る」という、社会生活において(映画と関係のないところで働くわたしの社会的価値には影響しないという意味で)意味をなさないこの時間がわたしにとっては本当に大切なのだと実感する。

 

とりあえず机の上に出しっぱなしのケーキのごみを片付けて、それができたら寝よう。もう1時半だ!

また会おうね

昼までに急いで仕事を終わらせ同僚に引き継ぎを行い帰宅。車で1時間弱かけて映画館に向かい、リバイバル上映されている「ビフォア・サンライズ」を観る。

(ネタバレとかする)

一日の中で明け方が一番好きだ。最近は起きたまま朝を迎えることもほとんどなくなって、明け方に出歩くのなんて旅行のときくらいだ。それでも薄明るい灰色の景色の中を歩いていると、ふたりで朝日を待ったベランダや、友達と歩いた北千住のロータリーや、間近に迫る明日が見えないようにひとりで潜った布団の中のことを思い出さずにはいられない。

 

「ビフォア・サンライズ」は2021年にアマプラのレンタルで観た以来の二度目の鑑賞だったが、おおまかなあらすじ以外ほとんど内容を忘れていたので新鮮だった。そしてとても素晴らしい映画体験だった。

タブレットの小さな画面では気づくことのできなかった表情の動きや目線、仕草。

終盤、街を歩く主人公たちを目で追いながら会話する男性の姿に釘付けになる。

わたしが知る多くの映像作品では、画面の中のモブキャラクターは背景の一部であり、主人公の挙動とは無関係に生活を営んでいる。中には主人公と接するモブキャラクターもいるが、その役には「男A」や「居酒屋の女」などと役名が与えられていることが多い。

しかし、この映画では役名すらなく背景として機能する狭義の「モブ」キャラクターが、ただ歩いているだけの主人公たちを目で追い、そしておそらく主人公たちについての会話をしている。それを映すことで、複数のレイヤーとして分離された背景と主題がひとつのレイヤーに結合されているように感じられてとてもよかった。これは確かに存在するひとつの世界で起きている出来事で、主人公たちにとってモブキャラクターが「街の声」であると同時に、モブキャラクターにとっては主人公たちが「街の声」なのだ。街に生きている。街が生きている。

エンドロール前の「生きた街」の描写もとてもよかった。かつてふたりがいた、今はふたりがいない場所。日が昇ると街は豊かに表情を変える。わたしもそれを観測したいと強く思う。こんなにも旅行がしたくなる映画は久しぶりだった。いつかウィーンであてもなく街歩きをしてみたい。

 

映画館で集中して観たからこそ、この映画が「視線」を大切にしていることにも気づけた。

冒頭、一瞬の視認がまるでスイッチであったかのように物語が始動する。レコード屋の試聴室での乱反射のような視線の応酬に息をするのを忘れそうになる。相手を見つめる嬉しそうな目線に、合いそうになる目を慌てて逸らすカッコ悪さに、その空間がもたらすおかしさに、懐古と羨望と親しみを覚えながら。そこから行き着く先にある「あなたをしっかりと覚えておきたい」というやりとりの中でぴったりと合う視線に胸が熱くなった。

 

「わかり合えなくてもいい、わかり合おうとすることが魔法」ってなんて素敵な言葉なんだ。あなたのことが知りたいと、何度も質問を重ね視線を重ね唇までも重ね合わせる。そうやって繰り返されるふたりの魔法を目の当たりにすると、たった一夜であそこまで強く惹かれ合うことにも納得せざるを得なくなる。彼らの魔法を信じたいし、忘れたくないと感じる。

 

初めてこの映画を観た時から、実際に続編映画が公開された9年後まで続きをとっておこうと決めていた。初見が2021年だったので、「ビフォア・サンセット」は2030年までお預けになる。6年後のわたしはどんな人間になっているのだろうか。まだ生きているのかな。

どうかその頃また映画館でリバイバル上映が行われますように。

23/24

無限に時間があったらいいのにと思いながら、三が日の最終日を家でごろごろして過ごした。この年末年始、いろんなことを考えたし何度もはてなブログやnoteを開いて文章を書こうと思ったけど、何も書けなかった。夏だとか年だとか、なにかの終わりを迎えることが苦手だ。なにかが終わるのになにもできなかった自分がいやになるから。

夕方、思い立って部屋の模様替えをした。新しくなった部屋を使いたくて、1メートル横にずれたデスクのパソコンを開いて見切り発車でブログを書き始めた。内容は去年のまとめと今年やりたいことにしよう。こういうまとめをするのが2023年内に間に合わないのがとてもわたしらしい。

 

 

2023やってよかったこと

・京都一人旅

友達との旅行じゃやりにくい「好きなだけ寝る」「現地の映画館にいく」「好きな場所でぼーっとする」「なんでもない場所を歩く」「気分で予定を変える」といった行動と京都の相性がすごくよかった。今度は一眼を持ってどこかに一人旅に行きたい。

・引っ越し

4月に越してきたマンションの壁が薄く昼夜問わず両隣の騒音が酷かったので、夏前に今の家に引っ越した。エレベーターがなくなり間取りも狭くはなったけど、隣の音がほとんど聞こえなくてすごく快適。今後引っ越すことがあれば防音だけは妥協しないようにしようと固く決意した。かなり住みやすい部屋なので、しばらくここに住みたい。

・本を作った

誰かと一緒になにかを形に残すということがこんなにも楽しく素敵なことだと知れて嬉しい。元気がなくなったら部屋の隅に飾ってある「街の声」を眺めている。きっとこれからもわたしの人生のおまもりでいてくれる本だと思う。

・人と会った/友達ができた

フォロワーさんと初めて会う機会がたくさんあった。「はら」のアカウントを作った頃はこんなふうにインターネットで友達ができるなんて全く思ってなかった。会ったことのない人って機会や口実がないとなかなか会いましょうってならないけど、その機会や口実を取りこぼさず会いたい人には積極的に会うようにしていきたい。そんでできた友達を大切にしたい。

キングオブコントをみんなで観た

フォロワーさんに誘ってもらってKOCを観た。めちゃくちゃ楽しかったからまたやりたいな。

 

2023行ってよかった公演

・カネコアヤノ 日本武道館2023

初めての生カネコアヤノ。アーケードの衝撃と美しいライティングが忘れられない。

・宝飾時計

クライマックスの歌唱をもう一度生で聴きたい。

BUMP OF CHICKEN be there

花畑のように黄色く光る客席がとてもきれいでピックスモブがいやじゃなくなった。終わった後セトリカラオケして楽しかった。

・ダウ90000 夏の八演会

バンド演奏や一発ネタなど、いつもと違うダウ90000が見られて楽しかった。真横を飯原さんが通ったときにあまりにも浴衣が似合っており一瞬で顔ファンになった。

・3markets[] トビウオ祭 夏

・Gパンパンダ ソロライブ

・十九人 ファンク

ASIAN KUNG-FU GENERATION サーフブンガクカマクラ

羅針盤」「アンダースタンド」「ループ&ループ」「遙か彼方」人生で一番いいアジカンのライブだった。

・Gパンパンダ 2024エントリーNo.1

Gパンパンダのコントが本当に大好き。今年KOC決勝いくんじゃないかと思う。

・ネクライトーキー ゴーゴートーキーズ!2023秋

ZEPP新宿のスクリーンを大活用したライブ。自分がネクライトーキーとうつっているMVが会場で流れて泣きそうになった。初めてライブを観たあの日から変わらないものを毎回ブラッシュアップして届けてくれることが本当にありがたい。

・さいたま国際芸術祭2023

映画の世界を好きに見学できたらこんなかんじになるのだろうか。日常に溶け込む非日常が芸術になって襲ってくるような展示。水面の展示がすごくよかった。

・Gパンパンダ GERA公開収録

 

2023よかった配信

・Aマッソ 滑稽

現実と虚構が融けて混ざり合うような恐怖演出が最高に最悪だった。笑いと恐怖の境界線がぐちゃぐちゃにされていく感覚はまさに滑稽。劇場で体感したかった。

・ダウ90000 20000

公演中止となり残念ながら配信で鑑賞。「大親友」が一番好きなコント。

 

2023よかった映画

・恋人はアンバー

京都の出町座で鑑賞。LGBTQ+と自分らしさ。ファッションとデートシーンがとてもかわいい。

・バビロン

ハイテンポエンタメ。映画を撮る映画。後半でてくるマフィアのボスが好き。

・イニシェリン島の精霊

おじさんたちが仲違いする映画。人との距離をはかることの難しさについて。友達ってなんだろう。

ちひろさん

自分と他人との適切な距離は人によって違い、その違いを肯定してくれる映画。

・エンパイア・オブ・ライト

映画館で映画を観るシーンが本当に素晴らしかった。写真のように美しい風景。

・ベイビーわるきゅーれ2ベイビー

キュートな殺し屋の映画。アクションシーンがパワーアップしていて楽しい。

長ぐつをはいたネコと9つの命

アニメーションとしての繊細さを捨てることで得られる臨場感。2Dと3Dのいいとこ取りをしたような映像。

ダンジョンズ&ドラゴンズ アウトローたちの誇り

TRPGが原作の傑作ファンタジー映画。海外児童文学が好きだった人におすすめ。

名探偵コナン 黒鉄の魚影

哀ちゃんが最高すぎる映画。

・怪物

廃バスの窓を内側から撮ったカットが衝撃的だった。

・きさらぎ駅

配信。2ちゃんねる発祥の怖い話。映像はチープだけど構成が新しくて面白い。

・バッドガイズ

配信。ワルの動物たちのアニメ映画。

・ミッションインポッシブル デッドレコニング PART ONE

アクションのすごさだけで160分もたせるのすごすぎ。

・アフターサン

疎外感の映画。父と娘の短いバカンス。説明台詞が少なく映像が感情を雄弁に語る。

・ほつれる

冷え切った関係性がもたらす絶妙な空気感の精度があまりにも高い。

ミュータント・タートルズ ミュータント・パニック!

ジュブナイルアニメ映画。アニメーションの新しい表現に挑戦している。

ガールズ&パンツァー 最終章 第4章

ガルパンはいいぞ

スコット・ピルグリムvs邪悪な元カレ軍団

配信。好きな女の子の邪悪な元カレ軍団と戦うだけのバカ映画。音波バトルシーンが大好き。

 

2023よかったアニメ・ドラマ

スコット・ピルグリム テイクス・オフ

途中から映画と違う流れになり、ヒロインが真相究明のため元カレたちを通して自分と向き合っていく脚本が素晴らしい。映画とセットで観たい作品。映像表現もレベルが高く見ていて楽しい。

・ブラッシュアップライフ

・この動画は再生できません2

かが屋のふたりが主演の低予算ホラードラマ。

NETFLIX版ワンピース

・日常の絶景

日常に潜む絶景を同僚と見に行くドラマ。こういう休日が過ごしたいんだ。

・グッド・オーメンズ シーズン1

地球を好きになっちゃった天使と悪魔が仲良くなって、地球滅亡を阻止しようとするブロマンス。

 

2023よかった本

角田光代 愛がなんだ

大好きな映画の原作をやっと読んだ。マモちゃんが成田凌とだいぶ違う人物像で、同じ台詞でも意味が変わってくる場面がありまた映画が観たくなった。

よしもとばなな デッドエンドの思い出

オールタイムベスト。心の奥に転がっていた大事な物を表題作に掬い上げてもらった。

・夏木志朋 二木先生

・高瀬隼子 いい子のあくび

人の悪意をここまで詳細に言語化している本に初めて出会った。

 

2023よかったゲーム

スプラトゥーン3

フォロワーさんまた遊んでください。

・リングフィットアドベンチャー

7日くらいでやめちゃったので今年はちゃんとやります。

・7Days to End with You

言語解読ゲーム。相手の言いたいことがだんだんわかるようになっていくのが楽しい。

・refind self

RPGでとった行動から性格を分析する診断ゲーム。人の結果と比較したりできて楽しい。結末で泣いてしまって先に進むのがつらかった。

ゼルダの伝説 ブレスオブワイルド

数年かけてやっとクリアできた。ティアキンもやりたい。

 

2024やりたいこと・目標

・ドラム教室に通う

余裕があればドラムを習いたい。ベースもギターも楽しいけど、ドラムが一番楽しそうだなってネクライトーキーのライブを見ていたら思った。

・ギターを弾く

一年弾かなかったら指が柔らかくなってしまった。弾き語りができるようになりたい。

・セッションする

簡単な曲でいいからバンド形態で演奏がしたい。

・本を作る/文学フリマに出る

これは本じゃなくてもいいけど、フィクションのなにかを作りたい。

フジロックに行く

・一眼で写真を撮る

最近コンパクトカメラばっかりですっかり一眼に触らなくなってしまったけれど、写真を見返していたらまた一眼で撮りたくなった。旅行に一眼を持って行ってたくさん撮ろうと思う。

・好きな映画に出会う

年始に観た「PERFECT DAYS」のような映画にもっと出会いたい。

・感想を言語化する

嫌いな理由を分析できるようになりたい。悪口じゃなくて、自分と向き合うための感想が書けるようになりたい。

・ブログを月1以上書く

ノルマにすると楽しくなくなっちゃってよくないかもしれないけど、ノルマがないと書かなくなってしまうので目標を作った。ノルマがルーティンに変化して、文章を残すことが日常の一部になっていけばいいなと思う。

・部屋をきれいに保つ

友達がいつ来ても大丈夫なレベルで保ちたい。掃除機買ったからちゃんとかけたい。掃除状況を表にして可視化したものを部屋に貼り出そうと思う。

・自炊

自炊をやめたら食費がやばいことになったので、今年は自炊中心の食生活を送りたい。

・写生大会

暖かくなったら動物園などの場所で友達と絵を描く遊びがやりたい。

・たくさん友達と遊ぶ

あそぶぜ!

40.3℃が揺らす光

 

友達と近所のカフェでランチをして、解散後の時間がちょうどよかったから「アステロイド・シティ」を観に行くことにした。思ったより道が渋滞していて間に合わなくなりそうだったけど、ギリギリで滑り込んで最初から最後まで観ることができた。映画の中身は「フレンチ・ディスパッチ」の時みたいによくわかんないしそんなに面白くはなかったけど、シネマスコープの横長画面をふんだんに活かした映像に驚きや楽しさが詰め込まれていて、大自然の中にいる時みたいな、頭じゃなくて体が感じる気持ちよさが目から全身に流れ込んできて最高だった。これは絶対に映画館案件。

 

映画が終わってそのまま帰ってもよかったけど、途中で温泉の看板を見つけてふらりと寄ってみることにした。新しめの温泉施設で、小さめではあるけど綺麗でとても過ごしやすかった。温泉は内湯と外湯があり、シャワーを軽く浴びて内湯に浸かり、体が温まるのも待てずに外湯に向かう。外湯の奥には半露天になった寝湯があり、そのオレンジ色の湯船にゆっくりと足を踏み入れた。

一番奥に行くと「この周囲は熱い湯が出るのでご注意ください」みたいな張り紙があったので、すごすごと一番手前に戻る。仕切りで隣と隔てられていて、5cm程度の深さの湯から石の枕が顔を覗かせている。髪が濡れないように気をつけながらゆっくりと横になった。天井には水に反射した光の影がゆらゆらと揺れていて、とてもきれいだと思った。後から来た人の湯船を横切る波がわたしを揺らす。身じろぎをするとまた波がうまれて、わたしが揺れる。体に触れると、前半分は冷たいのに後ろ半分は温かかった。ぬるいお湯でもすぐにのぼせてしまうわたしが長時間入っていても大丈夫なのは、体の前と後ろの温度を足して2で割ると普段の体温くらいになるからなのかな、って思った。気をつけの姿勢になってから力を抜くと、手足が勝手に横に広がった。体のホームポジションだ、って思った。

 

寝湯の次はいよいよ露天風呂だ。壁面には赤い7セグメントディスプレイで「40.3℃」と表示されている。その温度の既視感を手繰り寄せながら、ゆっくりとお湯に浸かる。一番深いところに腰を下ろして肩を湯の中に落としてすぐに思い出した。子供の頃に熱を出して、人生で体験した中でいちばん高い体温が「40.3℃」だったのだ。何度だったか忘れちゃったけど、四十何度で人間のタンパク質が変性する、みたいな話をどこかで聞いて、40.3℃って大丈夫なのかな、って、思い出すたびに考えていた。あの時、もしかしたら、体のどこかのタンパク質が違うものになっちゃったのかもしれない。熱が出る前と後のわたしは、違う人間なのかもしれない。

「40.3℃の熱の出ている人間を箱の中に敷き詰めてその隙間に水を流し入れたら、いつか温泉の温度になるのだろうか」ってくだらないことを考えながら空を眺めると、彩度が低くて夜にしては明度が高めの紺色の空が広がっていた。わたしが色をたくさん知っていたら、この空は「紺色」じゃなくて違う色に見えるのだろうか。後で調べたら、「鉄御納戸」という色がいちばん近いような気がした。知識が増えると世界の隅々がよく見えるようになる。アンミカの「白って200色あんねん」とか、「プラダを着た悪魔」のセルリアンブルーの話とか、本筋は違うけど、どちらも知識が世界の可視範囲を広げることの一例だと思ってる。

 

お湯から上がり、近くのベンチに寝っ転がる。星のない空を眺める。温泉でいちばん気持ちがいいのって、お湯に入っている時ではなくこうして湯上がりにお湯の側で涼んでいる時間だと思う。つい最近まで夏だったのに、22時の外気温はしっかりと秋だった。熱くも冷たくもない風が心地よい。

疲れたな、と思う。最近毎日疲れている。どんなに日曜にゆっくりしても、平日の仕事で溜まった負債が返済しきれない。常にだるくて眠くて、なのに休日も目覚ましよりずっと早く起きてしまって、二度寝をしても昔みたいに長く眠ることができない。加齢で体力がなくなるのって、体力ゲージの上限が下がるわけじゃなくて、回復力がなくなることなんだなって思う。常に状態異常がかけられているような感覚。年齢に比例して、あるいは指数関数的にデバフがキツくなっていくんだから、そのぶん年を経て得た経験や知識、人間性や思慮深さ、つまり楽しく生きていくための素養が伴わないと生きるのがよりしんどくなりそうだ。わたしの職場には、そうして得られる目に見えないものたちの物証として結婚を捉えている人が多いように思う。最近、脈絡もなく「結婚が全てじゃないから大丈夫だよ」というようなことを言われたけど、それは「いい年して結婚していない人は大丈夫ではない」という前提の上に成り立つ励ましだよ、と思った。結婚していないし今後もしなそうだけどある程度楽しく生きている(生きていきたい)わたしの人生を、多様性への配慮に見せかけた誰かの正しさで塗り替えないでほしい。

 

そういうことを温泉から出た休憩スペースで考えながらブログを書いていたら、あっという間に23時を過ぎてしまった。

 

温泉なんてホテルや旅館に泊まる時くらいしか入らないから、なんだか旅行にきたような気分で楽しかったな。1000円もしない料金でお手軽に旅行気分を味わえる温泉施設、とてもありがたい。また来よう。

生活はできそう?

 

仕事で後輩の女の子と一緒に職場に残って、おしゃべりしながら仕事して、一緒に夕飯食べて、そのまま職場に泊まった。翌日のお昼に帰ろうとしたらその子がいて、「帰ってゆっくり休んでね~」って言ったら「実は、私お迎えを頼んでいて、このまま夫とコストコに買い出しにいくんです。その方が効率いいからって言って来させました」って言われて衝撃だった。生活している。生を活かしている。共同生活者とともに次週の生活に必要な物品や食材を買い出しに行くなんて、生活以外のなにものでもない。一方わたしといえば帰宅後はポケモンスリープを起動してカビゴンにごはんをあげて寝るだけ。食事もウーバーイーツとか松屋とかばかりだから食材なんて必要ない。コストコには永遠に行かない。これでは生活ではなく生きているだけだ。

生活しなくては。と思い、今日は部屋の片づけを行った。引っ越しをしたのは7月なのにいまだに段ボールが10箱以上開かずに残っているから、まずはそれをどうにかしないと生活することができない。間にスプラトゥーンを挟んだりもしながら、なんとか2箱片付けた。だけど本棚に漫画を並べたらつい読みたくなってしまい、「ぼくらのへんたい」という漫画を全巻読んでしまった。

 

ぼくらのへんたい」はコミックリュウで2012年頃から連載されていた漫画で、大学生の頃に出会って、四度の引っ越しを経ても本棚に残っている程度には好きな作品だ。

女装をしている男子中学生三人の三角関係の話で、うちひとりはトランスジェンダーMtF)、ひとりは同性愛者、ひとりは異性愛者。それぞれが悲しみや生きづらさを抱えていて、三人とその友人たちが出会い関わることでそれぞれの生き方を見つけていく。性的虐待、いじめ、身内の不幸などといった描写があるため万人に薦められる作品ではないけれど、わたしはこの漫画が好きでたまに読み返している。初めて読んだ日から10年くらい経っていて、そりゃそうだけど、当時と比較して自分と作品との関わり方が変わったように感じた。過去の自分と話がしたいと思った。

 

Twitterのタイムラインを眺めていたら「みんな!みんな!みんな~!」というコントライブのOP映像が流れてきた。

再生したら音楽がカラスは真っ白の「fake!fake!」だった。これもわたしが大学生のときにヴィレッジヴァンガードで出会ったバンドだ。声の透明感はやくしまるえつこに似ていて、アップテンポでスタイリッシュな音楽に乗ったレースのリボンのような声が好きだった。残念なことに一度もライブに行けないまま解散してしまったけれど、こうして意図せぬ場所でかつて好きだった音楽が聴けると本当に嬉しい。「fake!fake!」の収録されている「おんそくメリーゴーランド」というミニアルバムがとてもいいです。

まだウォークマンに音楽を入れていた時代、ヴィレヴァンで買ったCDをインポートして聴いてたなあ。

ヴィレヴァンって高校生の頃は憧れの場所で、大学生になってしばらくしたら飽きて行かなくなって、社会人になってしばらくして逆にまた行くようになった。映画が始まる前は時間があれば近くのヴィレヴァンをうろつく。別になにも見てないけど、ヴィレヴァンの空気を一周吸って帰ってくる。これは儀式に近い。かつてヴィレヴァンに憧れ通った自分とシンクロしているのだ。こんなにインスタントに懐かしさを浴びることのできる場所、なかなかない。なくならないでほしい。

これは、ヴィレヴァンを待ち合わせ場所にする人間たちのしょうもない恋愛映画。しょうもない恋愛ってことは、つまり最高ってこと。こういうの一緒に観てそのまま感想戦に突入できる同居人がほしいなあ。なんて話、三人でいたとき、新潟でしたなあ。

 

他にも「バービー」を観て「えー」と思ったこととか、「犬のかたちをしているもの」を読み返してまた悲しくなったこととか、書きたいことがたくさんある。でもこれはもっとしっかり推敲して作った文章にしたいから、今日はやめておく。週末はポケモンスリープのスコアの稼ぎ時だから早く寝ないといけないし。あー、また月曜日が始まる。月曜日だー。

寝るために飲んだ睡眠薬が効いてきて、文字が動いたり浮かんだりしだしたので寝ます。

 

タイトルが決まらないまま20分が過ぎた。

ブログってどうやって書くんだっけ。ちょっと忙しくなってちゃんとした時間が取れなくなって、半年の間に書きかけの下書きが16もあるのに、どれも推敲されないまま眠っている。君がかつて住んでいた街へ向かう電車の中で、空腹を紛らわすようにこれを書き始めた。このまま乗り換えの駅で降りるのを忘れて、東京のどこかで降りて、みつけたホテルに泊まって昼までゆっくり眠りたい。

 

やっぱり、久しぶりに書くとちょっと恥ずかしいや、ブログ。

ほんとうは、たくさん溜まったラインを開くのが億劫で、そこから逃げるためにブログを書いている。いつだって必要なことは後回しにしてしまう。

 

ディズニーランド帰りの耳をつけたままの人が、真顔のままスマホを眺めている。電車の中の人は半分くらいがマスクをしていない。斜め前の席が開いたので座ると、反対側にもうひとりミニーマウスの耳の人がいた。お誕生日シールをつけていたので、おめでとうと心の中で伝える。

 

今日は映画館で「aftersun/アフターサン」という映画を観た。ネタバレも含めて感想を書きたい。

この映画は、離れて暮らす30歳の父と11歳の娘が夏の間ふたりで海にバカンスへ行く数日間を描いたものだった。あらすじと雰囲気で、きっとわたしは退屈してしまうことがわかっていたけれど、友達やフォロワーさんたちみんなが「いい映画だった」と言っていたので、観にいくことにした。それがわたしにとっていい映画じゃなかったとしても、観た後に自分が何を思うのかを知りたかった。

映画を観ている間の多くの時間わたしの頭の中を占めていたのは、映画とあまり関係のない事柄だった。数日前に発してしまった失言のこと、大学時代の秋に行ったグランピングのこと、屋外の飲み会で席を外した時に遠くから聞こえてくるみんなの声のこと、久しぶりに連絡するあの人になんてラインを送ろうか、なんてこと。網膜にうつる映像が脳みその考える場所を通らずに、どこか違う道を通って直接海馬の端に到達しているような、そんな感覚で映画を観る。だれかが言葉を発する。字幕が出る。字幕を読む。映像を眺める。

こんな書き方だとまともに映画を観ていなかったように捉えられるかもしれないけど、いろんなことを考えながらもちゃんと映像は堪能していた。画面の切り取り方、映像の質感、聞こえてくる音の取捨選択、重なり合う場面と手、夏の海の広くて眩しい空、揺れるみなも、全てがとても美しくて懐かしくて楽しかった。最低限の言葉と雄弁な映像でものごとをあらわす作品を観ると、今日映画館に足を運んで良かったと心から思えてくる。

後半、ポラロイドカメラで写真を撮ってもらうシーンがあった。写真を撮った後、机に置かれた写真だけがうつされ、ふたりの話す声が聞こえる。じょじょに浮かび上がる写真が、過ぎゆく時間のゆるやかさを実感させる。ふたりがどんな会話をしていたのか全く思い出せないけど、そのシーンで涙が出たことだけは覚えている。映画を観ているとよくある泣かされて出る涙ではなくて、わけがわからないまま勝手に出てくる言語化できない涙だった。その瞬間、過ぎていったひとつひとつのシーン、映像がとても愛おしく思えて、この映画のことが大好きになった。

映画の最中、多くの場面でわたしが感じたのは疎外感だった。みんなと一緒にプールに飛び込んだ後、楽しむみんなを水の中から眺めてひとりプールから上がる場面。大人たちが水球に興じる真ん中で、球に触れないまま大人を眺める場面。優しいお兄さんお姉さんの飲み会から少し離れた場所で飲む清涼飲料水。「みんな」がいる場所で、なんとなく「みんな」の一部になれなくて、気づかれないように少し距離をとるときの疎外感。だからこそ、踊らないと断言した娘の手を無理矢理とって一緒にダンスを踊るシーンがとても好きだった。それは「みんな」との同化の強制では決してなくて、「みんな」の一部じゃなくたってみんなと一緒に踊ることはできるし、それが嫌ならふたりで踊ればいいし、「へんなの」って言われながら部屋でひとりで踊るのも楽しいってこと。

映画の折々で挟まる印象的な場面。暗闇とストロボの中で必死に踊る父親は、よく見えなかったけれど、楽しそうでもあったし苦しそうでもあった。まわりにはいろんな人がいた。きっとそこは父親の人生であり、時には楽しい場所でもあり、おおむね地獄でもあったのだろう。でもその地獄は、周りの人からはよく見えないし、よくわからない。

わたしもわたしの地獄を、きっと人からは見えない地獄を、ひとりで、時には誰かと楽しく踊りながら、あの夏の思い出を握りしめて、生きられるところまででいいから生きようと思った。