フープフラフープ

はらの趣味です

40.3℃が揺らす光

 

友達と近所のカフェでランチをして、解散後の時間がちょうどよかったから「アステロイド・シティ」を観に行くことにした。思ったより道が渋滞していて間に合わなくなりそうだったけど、ギリギリで滑り込んで最初から最後まで観ることができた。映画の中身は「フレンチ・ディスパッチ」の時みたいによくわかんないしそんなに面白くはなかったけど、シネマスコープの横長画面をふんだんに活かした映像に驚きや楽しさが詰め込まれていて、大自然の中にいる時みたいな、頭じゃなくて体が感じる気持ちよさが目から全身に流れ込んできて最高だった。これは絶対に映画館案件。

 

映画が終わってそのまま帰ってもよかったけど、途中で温泉の看板を見つけてふらりと寄ってみることにした。新しめの温泉施設で、小さめではあるけど綺麗でとても過ごしやすかった。温泉は内湯と外湯があり、シャワーを軽く浴びて内湯に浸かり、体が温まるのも待てずに外湯に向かう。外湯の奥には半露天になった寝湯があり、そのオレンジ色の湯船にゆっくりと足を踏み入れた。

一番奥に行くと「この周囲は熱い湯が出るのでご注意ください」みたいな張り紙があったので、すごすごと一番手前に戻る。仕切りで隣と隔てられていて、5cm程度の深さの湯から石の枕が顔を覗かせている。髪が濡れないように気をつけながらゆっくりと横になった。天井には水に反射した光の影がゆらゆらと揺れていて、とてもきれいだと思った。後から来た人の湯船を横切る波がわたしを揺らす。身じろぎをするとまた波がうまれて、わたしが揺れる。体に触れると、前半分は冷たいのに後ろ半分は温かかった。ぬるいお湯でもすぐにのぼせてしまうわたしが長時間入っていても大丈夫なのは、体の前と後ろの温度を足して2で割ると普段の体温くらいになるからなのかな、って思った。気をつけの姿勢になってから力を抜くと、手足が勝手に横に広がった。体のホームポジションだ、って思った。

 

寝湯の次はいよいよ露天風呂だ。壁面には赤い7セグメントディスプレイで「40.3℃」と表示されている。その温度の既視感を手繰り寄せながら、ゆっくりとお湯に浸かる。一番深いところに腰を下ろして肩を湯の中に落としてすぐに思い出した。子供の頃に熱を出して、人生で体験した中でいちばん高い体温が「40.3℃」だったのだ。何度だったか忘れちゃったけど、四十何度で人間のタンパク質が変性する、みたいな話をどこかで聞いて、40.3℃って大丈夫なのかな、って、思い出すたびに考えていた。あの時、もしかしたら、体のどこかのタンパク質が違うものになっちゃったのかもしれない。熱が出る前と後のわたしは、違う人間なのかもしれない。

「40.3℃の熱の出ている人間を箱の中に敷き詰めてその隙間に水を流し入れたら、いつか温泉の温度になるのだろうか」ってくだらないことを考えながら空を眺めると、彩度が低くて夜にしては明度が高めの紺色の空が広がっていた。わたしが色をたくさん知っていたら、この空は「紺色」じゃなくて違う色に見えるのだろうか。後で調べたら、「鉄御納戸」という色がいちばん近いような気がした。知識が増えると世界の隅々がよく見えるようになる。アンミカの「白って200色あんねん」とか、「プラダを着た悪魔」のセルリアンブルーの話とか、本筋は違うけど、どちらも知識が世界の可視範囲を広げることの一例だと思ってる。

 

お湯から上がり、近くのベンチに寝っ転がる。星のない空を眺める。温泉でいちばん気持ちがいいのって、お湯に入っている時ではなくこうして湯上がりにお湯の側で涼んでいる時間だと思う。つい最近まで夏だったのに、22時の外気温はしっかりと秋だった。熱くも冷たくもない風が心地よい。

疲れたな、と思う。最近毎日疲れている。どんなに日曜にゆっくりしても、平日の仕事で溜まった負債が返済しきれない。常にだるくて眠くて、なのに休日も目覚ましよりずっと早く起きてしまって、二度寝をしても昔みたいに長く眠ることができない。加齢で体力がなくなるのって、体力ゲージの上限が下がるわけじゃなくて、回復力がなくなることなんだなって思う。常に状態異常がかけられているような感覚。年齢に比例して、あるいは指数関数的にデバフがキツくなっていくんだから、そのぶん年を経て得た経験や知識、人間性や思慮深さ、つまり楽しく生きていくための素養が伴わないと生きるのがよりしんどくなりそうだ。わたしの職場には、そうして得られる目に見えないものたちの物証として結婚を捉えている人が多いように思う。最近、脈絡もなく「結婚が全てじゃないから大丈夫だよ」というようなことを言われたけど、それは「いい年して結婚していない人は大丈夫ではない」という前提の上に成り立つ励ましだよ、と思った。結婚していないし今後もしなそうだけどある程度楽しく生きている(生きていきたい)わたしの人生を、多様性への配慮に見せかけた誰かの正しさで塗り替えないでほしい。

 

そういうことを温泉から出た休憩スペースで考えながらブログを書いていたら、あっという間に23時を過ぎてしまった。

 

温泉なんてホテルや旅館に泊まる時くらいしか入らないから、なんだか旅行にきたような気分で楽しかったな。1000円もしない料金でお手軽に旅行気分を味わえる温泉施設、とてもありがたい。また来よう。