フープフラフープ

はらの趣味です

祖母

 

「おばあちゃん、癌だって」

母方の祖母の甲状腺癌がみつかり、気道に広がっていて、呼吸の音がおかしくなっている、という連絡が母からきた。もう93歳だからむしろここまで生きていることがすごいんだけど、やっぱり身近な人の死を意識する時間はしんどい。こんな状態なのにまだ自宅でひとりで生活できていて、なんて元気なひとなんだと思ったけど、きっともう長くないから急遽仕事を休んで地元に帰ることにした。

 

地元の駅について父の車に乗り込んですぐ「彼氏はできたか」と聞かれた。父は早くわたしに結婚してほしいみたいだった。子供が好きだから孫がほしいんだと思う。わたしは子供を作りたいと思ったことがないので、孫を見せてあげられないのはすごく申し訳ないと思う。自宅に着いて母と顔を合わせてすぐ自分から「彼氏はいないからね」と伝えた。母は「あなたが幸せならなんでもいいけど、おばあちゃんになったときにひとりになっちゃうのがいやだ」と言っていた。「少なくとも今幸せだよ」「老人ホームのデイルームで友達作るよ」と伝えた。夕ご飯は手の込んだ茄子の揚げ物だった。「あんた高校生のときそればっか作ってって言ってたんだよ」と言われた。大好きなけんちん汁もついていた。そのあとシャワーを浴びたら、家にある中でいちばんふかふかしてそうな綺麗なタオルが置いてあった。こういうのを愛って言うのかもしれないと思った。

 

実家は隣に祖父母の家があるので、まずはそちらに挨拶に行った。「こんにちは〜」って言いながら引き戸を開けたら祖母がでてきて「あら、こんにちは」とキョトン顔で他人行儀に言われた。名乗ったらすぐにわたしだとわかってくれて、固かった表情が崩れた。きっと彼女たちの中のわたしのイメージはいつまでも子供のままなのだろう。耳が遠くなったと聞いていたから、大きな声でゆっくりと会話をする。ふたりはなにか話した数分後に、会話がリセットされたように同じことを話していた。認知症が進んでいるのだとわかった。祖母の会話の9割はわたしの結婚の話だった。「いい人はいるの?」と20回くらいきかれて、その度に「どうだろうね〜」って言ってたけど、もうめんどくさくなって「いるよ〜」って言ったら、祖母は少女のように手を叩いて「わ〜!!いるの!!嬉しい〜!!!」って喜ぶもんだから罪悪感がわいた。でもきっと話したこともすぐ忘れちゃうだろうから、今彼女が喜んでいるのならそれでいいやと思った。「女には旬がある」という話をされて、この人はそういう常識の中で育ってきたのだ、と思った。でもわたしはそうじゃないんだよ。わたしが旬だと思った時が旬だから、一生旬でいてやるよ、と思った。

祖父は「地元に帰ってきてほしい」という話を繰り返していた。祖父母は耳が遠く互いの声が聞こえないようで、それぞれがわたしとだけ会話をしていた。地元には帰らないと決めているけど、帰るよ、待っててねと伝えた。きっとそれもすぐに忘れてしまうのだろう。

 

家を出てバスに乗り駅に向かいながら街並みを眺める。るーぱんはローソンになっていて、知らないデイサービスの建物が増えていた。別に地元は嫌いじゃないのに、ここにいたらわたしは「結婚できないかわいそうな人」でいなきゃいけないのだと思うと悲しかった。わたしがわたしでいたくても、きっと親戚や近所の人たちはわたしを定義づけることをやめてくれない。田舎だから、わたしがどこでなんの仕事をしているのか、未婚なのか既婚なのか、近所の人たちはみんな知っている。とても怖いと思う。中学生のとき、あまり人に言っていなかった当時付き合っていた人との話を親戚の人がみんな知っていて、すごく嫌だったことを思い出した。

 

母方の祖母の家は隣駅にある。祖母ひとりで住んでおりセコムが導入されていて、家に行くときは必ずファックスで訪問を予告しないといけないことになっている。しかし祖母はファックスを見ていなかったみたいで、玄関から入ったらセコムの音が鳴り始めた。靴を脱いで、鍵のかかったガラス扉に張り付いて向こう側の祖母に手を振るが、耳の聞こえない彼女はテレビに気を取られていてこちらに気づかない。電気をぱちぱちやったけどだめだった。母が「鍵がクローゼットの服の中にあるから探さなきゃ」と言い出したけど、玄関横のクローゼットには服がぎっしり詰まっていて、携帯電話のライトで照らしながら服のポケットを探すのが脱出ゲームみたいでおかしかった。鍵を見つけて部屋に突入して、セコムからかかってきていた電話に出た。「すみません、孫です。祖母がセコムを切り忘れていて、ご迷惑をおかけしてすみません」と謝り、口頭で本人確認を行いセコムを切った。危うくセコムの人たちに犯罪者として囲まれることろだった。鍵が見つかってよかった。

祖母は耳が全く聞こえないのでホワイトボードを使って会話をする。書かれた文字を見て、癌のせいでしゃがれた掠れ声で返事をする。なにか書くたびに驚いた顔で「そうな〜ん」と返事をする祖母がかわいらしくてずっと笑っていた。祖母は会うたびにわたしのことをいろんな角度から褒めてくれる。「ちょっとふっくらした?すごくかわいいんね」「すごくいい子だね」って言われて、この人にとってもわたしはずっと子供のままなのだと思った。「もう30歳」とホワイトボードに書いたら、また「そうな〜ん」と驚いていた。「こんなこと言われたくないと思うけど、いい人はいるん?」と聞かれて、「いないよ、でも楽しみにしていてね」と伝えた。きっと祖母が生きているうちに結婚した姿を見せることはできないけど、そうやって言ったら少しでも長く生きてくれる気がして。最後に祖母と写真を撮った。すごくいい写真が撮れた。普段インスタに自分の写真は載せないけど、今日だけは祖母との写真をストーリーにアップした。いいねが多くついて嬉しかった。いいでしょ。どこも痛くないし苦しくないって言ってたから、どうかそのままで、亡くなる最期の時まで痛くないまま苦しくないままでいてほしい。年末帰る時に、まだわたしと話ができる状態でいてほしい。でも本当はいつまでも死なないでほしい。