フープフラフープ

はらの趣味です

約束はエンドロールのあとで

 

クリスマスイブをひとりで過ごすより、大晦日をひとりで過ごす方が寂しく感じるのはどうしてだろう。

 

一年の節目を決めたのはわたしたち人間で、それは世界の理でもなんでもないのに、なぜか大晦日だけはすごく特別な一日のように感じる。

多くの人は、帰省して家族と過ごしたり仲の良い友人と炬燵を囲んだりして年を越すのだろう。その特別な一日を、今年はなんでもないいつもの暇な休日のようにひとりで過ごす。

テレビをつけているわけでもないのに否が応でも襲ってくる年末の空気感にあてられて、今まで薄らとしか感じていなかった寂しさたちが影を濃くする。

 

今年は生活が大きく変わった一年だった。

なにかを好きでいることに少し自信を持てるようになり、それを人と共有する楽しさを知ることができた。楽しいものをたくさん教えてもらって、好きなものがたくさん増えた。自分を少しだけ好きになれて、人間らしい生活もできるようになった。そのきっかけとなったふたりと、たくさん一緒の時間を過ごした。結局その片方と付き合って別れたので、いまはもう片方としか付き合いはないのだけど。

 

付き合った人は映画が大好きだったので、よく三人で映画を観ながら鍋をつついたりしたし、ふたりで仕事の後に映画を観に行ったりもした。その人と別れてからはその人がいた場所を埋めようとするようにめちゃくちゃ映画を観た。もともと月に一回程度の一人はしご映画が趣味だったけど、毎週のように映画館に足を運ぶようになった*1。結果的に、今年は映画を一生で一番多く観た年になった。

 

映画館で映画を観ることは、わたしにとっては家で映画を観るのとは全く違う行為だ。

映画を家で観てしまうと集中力が続かない。現に今だってスパイダーマン2を意味もなく一時停止してこのブログを書いている。こんなふうに途切れ途切れに観た映画と映画館で集中して観た映画では、沸き立つ感情も全く違ってしまう。だからFilmarksでは映画館で観た映画にしか点数をつけないことにしている。

映画館に行けば映画とわたし、一対一の世界がある。映画が始まる直前、スクリーンが横に伸びる時間は、現実の世界から境界を越えて映画の世界へ切り替わっていくような感覚になるから好きだ。

そんな中で、観客の笑い声が漏れる映画が好きだ。わたしだけのものだった一対一の映画の世界で、唯一他人を感じることのできる瞬間だからだ。結局わたしは寂しがり屋で、自分と同じ気持ちの誰かが同じ空間に存在していることに安心してしまうのだ。

エンドロールは現実へと戻る準備をする時間だ。満員の映画館だと特に、ぽつりぽつりと劇場を後にする人たちがいて、その光景がだんだんとわたしを現実に近づけていく。映画の内容を思い返し、映画に関わったたくさんの人たちの名前を眺め、少しずつ映画の世界が終わっていくあの時間が嫌いではない。

 

そうこうしているうちに、紅白も終わりゆく年くる年が始まった。今年の楽しかったたくさんの思い出といっしょに、来年も好きなものをちゃんと好きでいられる一年にしたい。

 

一緒にご飯を食べてくれたひと、一緒に映画を観てくれたひと、好きなものの話をしてくれたひと、楽しいことや大切なことを教えてくれたひと、友達や元恋人に、とっても感謝しています。ありがとうね。

 

来年もよろしくお願いします。

 

 

*1:数えてみたら上半期15本、下半期45本だった。増えすぎ。

人身事故で君に会えない

 

人身事故で電車が1時間以上来ず、明日仕事なのに0:30現在わたしは未だに遠くの駅にいる。

 

今日はネクライトーキーの対バンツアー「オーキートーキー!vol.4」ファイナルだった。ゲストはフジファブリックで全席指定だったのだが、なんとびっくり最前列中央が当選してしまった。最高。

 

フジファブリックは、確実にわたしの音楽観に影響を与えたバンドだ。高校時代、軽音部でコピーバンドに誘われて聴くようになり、フジファブリック、FAB FOX、TEENAGER、CHRONICLEの4枚をTSUTAYAで借りてCD-ROMにコピーして、すぐにハマって文字通りCDが擦り切れるほど聴いた。桜の季節、TAIFU、陽炎、サボテンレコード、Sunny Morning、銀河、マリアとアマゾネス、虹、若者のすべて、TEENAGER、バウムクーヘンをバンドでコピーした気がする。けっこうしてるな。

 

わたしがフジファブリックを聴くようになったのは志村正彦が亡くなったすぐ後で、当然その歌声を生で聴くことはできなかった。あと一年早く好きになっていたらと何度後悔したことか。わたしは志村正彦を、小さい画面の中でしか知らない。

 

先月、ドラフトコントという番組を観た。

芸人5人が集められた芸人たちの中からそれぞれ4人ずつドラフト選考してそのメンバーでコントをするという番組で、一夜限りのメンバーで行うコントがとても面白かった。

その番組のBGMで何曲か邦ロックが使われていて、その中でも繰り返し使われていたのがフジファブリックの「Sugar!!」だった。

それを聴いて、ふいに「人は死ぬから、会わなきゃいけない」と強く思ったのを覚えている。大切なあなたが明日も生きている保証なんてどこにもないのだ。

 

かつて当たり前のように行けていたライブも、コロナ禍でそのほとんどが中止になった。今でこそワクチンの普及もあり少しずつライブやフェスが解禁になってきているが、またいつ中止せざるを得ない状況になるかなんて誰にも予測できない。

ウイルスの影響だけではない。来年は仕事の都合で田舎に引っ越すので、東京へのアクセスが格段に悪くなる。仕事が忙しくなりライブに行く余裕もなくなるかもしれない。

 

今この瞬間、大好きなバンドの音楽を生で体感できることが奇跡なのだ。だからこそ会えるうちに会いたいバンドには会いにいかなきゃいけないし、会いたい人にも会いにいかなきゃいけない。

 

志村正彦の死という音楽を続けられなくなってもおかしくない状況で、それでもフジファブリックを続けようと決意してくれた。そして志村正彦の音楽を残し、新しいフジファブリックの曲を生み出してくれているメンバーには本当に感謝してもしきれない。だからわたしは、彼らに会いにいかなきゃいけなかった。

 

ネクライトーキーは、フジファブリックに大きく影響を受けたバンドである。1番初めに作った曲「タイフー!」は、曲名からわかる通りフジファブリックの「TAIFU」のオマージュ作品だ。TAIFUに限らずフジファブリックのいろいろな曲を彷彿とさせる要素が散りばめられているし、MVを観れば完全にオマージュであることがわかる。

大好きなネクライトーキーと大好きなフジファブリックの対バンで、しかもそれを目の前で体感できたなんて、こんな奇跡の中の奇跡に立ち会えた夜は一生忘れてはいけないし、一生大切にしなくちゃいけない。

フジファブリックの演奏するTAIFUも、ネクライトーキーの演奏するタイフー!も、サプライズでネクライトーキーがカバーしたTAIFUも本当に本当に最高だった。

 

バンドはいつか解散するし、人はいつか死ぬ。

だからわたしたちは、会いたい気持ちを後回しにしてはいけないのだ。

会いたいあなたに会える夜を楽しみに、明日も頑張って仕事しようね。

 

1:20現在、電車は未だに最寄りには着かないけれど、ブログを書き終えたのでよしとしましょう。おやすみ。

 

 

暇な方は、昔書いたネクライトーキーアルバムレビューをどうぞ。

ネクライトーキー「ONE!」全曲レビュー|はら|note

 

あのこはポップソングに夢中

 

今日起きた伏線回収の話を今すぐ誰かにしたくてこれを書いている。

めちゃくちゃ趣味の話。誰も読んでくれなくても、わたしが書きたくて書いてる。

 

今日はPEOPLE 1というバンドの東名阪ツアー「ベッドルーム大衆音楽」の追加公演に行ってきた。

PEOPLE 1にとって初めてのツアー、通算5回目のライブで、わたしは4回目の東京公演にも参加したので2ヶ月ぶり2回目のPEOPLE 1となる。

 

彼らはわたしにとっては生きる原動力になる大切なバンドで、仕事が最悪に上手くいかなかった時期は繰り返し「常夜燈」を聴いてなんとか辞めずにやれたし、仕事行くの辞めて電車に乗って世界の果てまで行っちまおうかと思う朝はEP「大衆音楽」や「GANG AGE」を流して不埒な願望を振り払った。散々悩みながら「113号室」や「ラヴ・ソング」を聴いて当時の恋人との別れを決意したこともあった。

その後も多くの素晴らしい曲がリリースされ、その度に好きな曲が増えていった。最近のお気に入りは、「怪獣」と「エッジワース・カイパーベルト」。よかったらYouTubeやサブスクで聴いてみてね。

 

人生で初めてのライブは郡山ヒップショットジャパンでのBUMP OF CHICKENの「ホームシック衛生」ツアーだった。

当時中学生のわたしにとってバンプは神様みたいなものだったので、まさに宗教信者が本物の神にまみえる時のようにばくばくに緊張し、ご本人達が現れてからはほぼ常にでろでろ涙を流していた。当時の光景と自分の涙の量は、今でも思い出せるくらい強烈に覚えている。

 

PEOPLE 1のライブに初めて行った時もその時のような緊張があった。流石にいい大人なので最初から最後までずっとは泣いていなかったけれど、あの頃のわたしを助けてくれた曲たちがそれを作ったひとたちによって目の前で演奏される光景を見て涙が流れないわけがなかった。*1

 

今日のライブは2回目で緊張はなかったけど、一番思い入れのある「常夜燈」ではやっぱり涙がこぼれたし、他の思い出の曲でも何度か目が潤んだ。この歳になっても目の前の音楽に感動することのできる自分に少し安心した。

 

MCもすごく良かった。「113号室」はボーカルのDeuさんが初期EP三作を製作した部屋で、引っ越しでそこを離れるにあたって「思い出を曲にして閉じ込めた。いつでも思い出せるように。」だそうだ。

部屋ってひとによっては(少なくともわたしは)人生の多くを過ごす場所だし、知らないうちに思い出がたくさん蓄積していく場所だと思う。引っ越しのために物を片付けると思いもよらない思い出が転がり落ちてきて、嬉しくなったり寂しくなったりしながら段ボールに仕舞っていく。その部屋で過ごしたふとした時間は、引っ越し準備が進むとともにゆっくりゆっくり消えていく。知らないうちに蓄積した思い出は、知らないままでずっと隣にいてほしかった。だからわたしは引っ越しが苦手だ。自分の引っ越しも友人の引っ越しも、空っぽになったかつて「部屋」だったものが苦手だ。

それでも彼は、「皆さんの過去を愛してあげてください。」と言った。思い出は曲にして閉じ込めることができるのだと言った。きっとそれは必ずしも音楽である必要はなくて、わたしの場合は映画もその手段になるのだろうと思った。この部屋で、あの部屋で観た映画には、思い出がたくさん閉じ込められているのだと信じている。

 

だいぶ本題から逸れてしまった。伏線の話だったそうだった。

これは、ライブ前のわたしのツイート。

「わーつ」はWurtSというミュージシャンのことで、PEOPLE 1のボーカルItoさんとコラボしたリトルダンサーという曲を出している。

そんなWurtSの「サンタガール*2という楽曲が、ライブ前に会場で流れていたのだ。

 

そしてライブ中盤、消える113号室のネオン。

このネオンはここがPEOPLE 1のライブであることを示すネオンであり、東名阪ライブではダブルアンコールでWurtSコラボのリトルダンサーを演る際にネオンを消す演出があった。

それが今回も消えた、ということは。

 

なんてところまでの思考には至らず「??」となっていたら、突然流れるリトルダンサーのインスト、突然現れるWurtS。まじか!!まさかご本人登場とは。最高かよ。

ライブでびっくりサプライズがあったときの興奮は、同じような経験をしたことのある人にならわかってもらえるんじゃないかな。

自分のツイートすら伏線になってしまう人生、ライフイズビューティフル*3

 

 

 

*1:しかも最前列のほぼ真ん中だった。ヤバい。

*2:こちらはにしなというミュージシャンとのコラボ楽曲で、すごくかわいい曲なので聴いてみてほしい。にしなはお耳に合いましたらのエンディング、「東京マーブル」も大好き。

*3:錦鯉M-1おめでとうございます。

きみと映画は棚の奥で

 

 

映画がすきで、映画ばかり観ている。

 

記憶だと大学3年生の頃に恋人にふられたのがきっかけで映画を観るようになったはずなのだが、この間掘り起こされた日記によるとその人と付き合う前からTSUTAYAに通って映画をまあまあ観ていたようだ。中学生の頃の遊びの数割は映画が占めていたし、よくよく思い返すと小学生の頃から1人映画をしたりすきな映画のために何度も映画館に足を運んだりしていた。幼稚園の頃に、まだ自由席だった映画館の階段に父と立って並んでいた朧げな記憶だってある。

 

そういうわけで、映画の神様はわたしのことを知らないだろうけど、映画鑑賞の神様はわたしのことがちょっとだけすきだと思う。

 

その神様のおかげか、映画を観た時のことはだいたい覚えている。映画の内容よりその前後の記憶の方がはっきり残っていることすらある。

誰かと観た映画ならなおさらそうだ。

 

例えば、小学生時代の一人映画の後に必ず行ってポイントカードがいっぱいになった砂場という蕎麦屋のきつねうどん。

R15の「スウィーニー・トッド」を観た後にbearという店でプリクラを撮った14歳の冬。

高3、受験生の夏、フードコートで勉強中に友人に勧められてその場で勉強を切り上げて観た「コクリコ坂から」。

大学時代「何者」を観て小走りで帰った夕方になりきらない夕方。

平日にガラガラの劇場で観た「ミックス。」のキスシーンで黄色い悲鳴をあげていた小学生たち。

親友と六本木で観た「JOKER」は本編開始後にぞろぞろと20人くらい人が入ってきてまともにオープニングが見られなかった。

鍋を囲みながら観た「ベイビードライバー」に興奮して、酔った勢いで一緒に観た友人に送りつけたサウンドトラックは今はわたしの家にある。

エヴァンゲリオンシリーズは新旧含めて本当に色々な人と観た。

 

そうだ、思えば誰かとの初めてのキスは、全部がなにかしらの映画を観た後のものだった。映画デートは好きじゃないなんてどの口が言えたもんだかね。ごめんね、神様。

 

 

映画に伴う思い出は音楽と同じで、再視聴の時に懐かしい感覚と一緒にその時の情景が浮かぶ。

会話、表情、立ち位置、空気、気持ちが、ワンカットで頭の中の映画の棚に保存されている。

手前の方にある記憶なら、簡単に手に取って再生できる。

 

それは嬉しいことばかりではなくて、すきだった人がわたしをすきじゃないと気づいた日に観た「街の上で」は、本当だったら好きな映画のはずなのに思い出が邪魔をしてまだ観ることができない。

 

これを書きながらその思い出が以前と比べて少し曖昧になっていたのも感じた。

引っ張り出さない思い出は、いつか棚の後ろの方に埋もれていく。

こんな悲しいもの全て後ろで溶けて輪郭を失くして曖昧に優しいものだけが残ったら良いのに。と思う一方で、しまいこんでおけばいつかふとした拍子に拾い上げて愛しく思えたりするかもしれないと、だから消えないでほしいとも思う。

 

思い出を丁寧に処理していくことが簡単にできないのなら、そういう愛し方だって間違ってはいないのだと思いたい。

いつかふとした拍子に観る「街の上で」が、どうかその時のわたしにとって素敵な映画でありますように。

 

 

 

軒下あるかほりっくガール

 

本日雨の降る軒下でダラダラと盃を交わした友人から、「葬送のフリーレン」という漫画を勧められた。

サンデーうぇぶりというアプリで無料で7話まで読めたので、酔いもさめないまま夜更かしをして読んでいる。昔2話までTwitterか何かで読んだのだが、続きも追っていればよかったとまあまあ後悔するくらいには面白かったし気に入った。

 

勇者一行が魔王を倒したその後の話で、主人公である長寿のエルフの魔法使い以外のメンバーはみんな年老いたり既に天寿を全うしたりしている。エルフはかつての仲間である僧侶から託された魔法使い見習いの少女とともに魔法を探す旅をする。

今のところ大冒険や激しい戦闘といった描写はなく、お掃除や物作りなどといった簡単なお手伝いをして報酬に魔法を教えてもらう粛々とした旅で、その中でかつての魔王討伐の旅をなぞり、仲間を想い、その思い出に花を添えていく。

 

エルフの目的がはっきりと明かされているわけではないが、どうやら「わたしは仲間のことを何も知らないし知ろうともしなかった。知らないままに亡くなってしまった」という後悔のもと魔法を集めているらしい。

数千年の命を持つエルフにとって、魔王討伐の旅の10年はほんの一瞬に過ぎないのかもしれない。仮に寿命が千年程度だとするならば、人間時間に換算して1年弱ということになる。

 

漫画を読み進めると、エルフがいかに仲間を大切に思っていたのかがなんとなく感じ取れる。そしてそれは、何も知らないと言うには無理がある程に互いを知ってたくさんの思い出を残したからこそのものだとわかる。実際に、ことあるごとに回想シーンが挟まれる構成になっている。

そんな中、弟子が「あなたがわたしを知ろうとしてくれたことが嬉しい」と伝えるシーンがあり、それを読んでちょっと泣いてしまった。

 

葬送のフリーレンを勧めてくれた友人とは知り合って1年になる。

その友人は部屋も綺麗だし自炊も出汁からとるし早起きしてコーヒーを淹れて朝ごはんを作るしとにかく生活が丁寧で、がさつなわたしと正反対すぎて知り合いたての頃は仲良くならないだろうなと思っていた。なんならわたしみたいなタイプを嫌ってそうだなとすら思っていた。

そんなふうに生活も正反対だし、はじめは趣味も音楽以外ほとんど被っていなかった。

それなのに今こうして会って楽しく話ができるのは、今まではただ単に気が合うだけなのだと思っていたが、本当は(わたしの自惚れかもしれないが)友人がわたしをわかろうと努力してくれていたお陰だったのだ。友人の口癖は、「知ろうとしないとわからないからね」で、わたしが好きなものや勧めたものを聴いたり観たり好きになってくれた。

既に互いが好きなものを共有するだけでなく、相手を知ろうとする努力がないと深い人間関係は築けないのだと、逆に言えば知ろうとさえすればどんなに短い期間でも仲良くなれるのだと教えてもらった。気付くのが遅すぎた感はあるが、今までの人間関係でおおむねその努力を怠ってきたことを割と後悔している。だからわたしは友達が少ないし、仲良くなるのに時間がかかるのだ。

 

 

話は変わるが、葬送のフリーレンを読んで、最近みた「エターナルズ」という映画を思い出した。テイストは全く違うが、かつて悪と戦った者たちのその後を描いているということや主人公が(エターナルズはみんなだけど)人間と比べて長寿というところが似ている。

 

エンドロールのクレジットの横でキャラクター達のその後が描かれている映画が好きだ。その瞬間が、一番そのキャラクターを理解できている気がする。最近だと「劇場版 少女☆歌劇 レヴュースタァライト」のエンドロールがそんなかんじで楽しかった。

エターナルズでは、物語の中盤をキャラクターのその後を描くことに割いてくれている。その後をなぞりながら仲間をもう一度集めていく過程がわたしにとっては壮大なエンドロールだったし、仲間集め後のお話はもはやポストクレジットシーンであった。って言うと言い過ぎかもしれないけど。

葬送のフリーレンも第1話が完全にエンドロールで、もうその時点で読みながらめちゃくちゃワクワクしていた。エンドロールの物語が好きな人にはとってもおすすめ。エターナルズも葬送のフリーレンも。

 

長く生きる種族と人間の関係性という点では、葬送のフリーレンの方がより深く掘り下げられているように思う。エターナルズはアメコミ映画で、主題はあくまで地球を守るヒーローたちの物語なのだ。ただそんな中で、長寿だからこそ見守ることのできた人間たちの長い歴史ひとつひとつが彼らの原動力になっているという描写は非常に良かった。エンドゲームであれだけ綺麗に終わったマーベルシネマティックユニバースの世界を、その物語を踏まえた上で新しく構築していくのは流石としか言いようがない。

 

結局何が言いたいのかよくわからなくなってしまったけれど、大切にしたい相手のことは知る努力をしようと思えたよき夜になりましたとさ。

 

 

 

冷たいコーヒーがあたためてくれた

 

コーヒーの会社に勤めているという方から大量のインスタントコーヒーを頂いた。普段コーヒー飲まないし美味しさも正直そんなにわからないので人に譲ってしまおうかとも思ったが、せっかくだしインスタントコーヒーデビューしてみることにした。

 

一応袋に書いてある通りにやってみたのだが、水道水の味がするちょっと苦い何かが出来上がってしまった。正直これを飲むくらいなら何も飲まない方がいいと思った。

コーヒー好きの友人に尋ねてみたらいろいろ教えてくれて、どうやら粉の量に対してお湯が多かったようだった。今度はそれを踏まえて小さいカップに淹れてみたら、なんか少しだけ美味しくなったような気がした。

そんなこんなで5パック1袋使い切る頃には、蒸らしとか焦らしとかの技も覚えてちょっと美味しいかもと思える代物ができるようになった。さすがインスタント食品、ズブの素人が作ってもそれなりになるのは偉大だ。

 

最近は事あるごとにコーヒーを淹れて、それに合うお菓子を食べるのか楽しみになっている。こんなに甘いものと合う飲み物があるなんて知らなかった。チョコケーキとコーヒーの相性はさながら運命の相手というかんじで、出会ってしまったからにはもうこの組み合わせを忘れることなんてできない。交互に口にすれば永遠にいける。今まで甘いものを食べる習慣はなかったのに、日常に甘いものが組み込まれることで幸福と体重が少しずつ付与されるようになった。体重計に乗るたびに、でも幸せならOKですの画像が脳裏をよぎった。幸せならOKなんですよ。

 

ただ問題なのがカフェインの存在である。あいつ、人の睡眠を邪魔してくるんだもの。今日も21時頃コーヒーを飲んでしまったので、只今丑三つ時なのにギンギンに目が冴えている。眠れなさすぎてブログまで書き始めてしまった。困った。

仕事が終わり帰宅して食事を摂るとだいたい21時くらいになってしまうので、カフェインを考慮すると平日はコーヒーを淹れられなくなってしまう。カフェインを摂ってかつ睡眠薬で強制的に眠るという手も考えたが、それをやっちゃったら流石にまずいだろうというのはわたしでもわかるよ。

 

世のコーヒー好きはいつコーヒーを淹れて飲むのか。休日しか淹れられないとしたら、わたしだったら我慢ならない。趣味になる程好きなら平日だって淹れたくなると思う。ここまで書いて、朝飲めばいいのかと気付いて絶望した。やっぱりコーヒーは丁寧な暮らしのできる人のための飲み物だったのだな。朝は少しでも睡眠に充てたいから無理。諦めます。休日の楽しみにとっておこう。そうすれば甘いものも週1になるから体重も増えないし、週末のコーヒーチョコケーキタイムのために平日頑張ろうって思えるかも。いや、頑張ろうとは思えないな。だって頑張らなくてもコーヒーは飲めるもんな。

 

今の状況に合った音楽を聴くのが好きなので、コーヒーの名を冠した曲を探してみた。そうしたら大好きBUMP OF CHICKENの曲、ベンチとコーヒーを見つけた。これは缶コーヒーの曲だけど。

 

歌詞の中で好きだよと告白する小学生を羨ましがる描写があって、それが去年の大晦日ジョゼと虎と魚たち」のアニメ版を観た時のわたしの感想そのまんまで笑っちゃった。今年みた「サイダーのように言葉が湧き上がる」でも似たような感覚になった。もう真っ直ぐ好き好き言ってるような恋愛に感情移入できなくなる歳になっちゃったんだなあ。

 

かっこつけて強がっちゃって情けないな、あんなふうに真っ直ぐになれたらな、自分には無理だからあの人の真っ直ぐな気持ちがうまく届きますように。っていう曲で、こりゃあね中学生のわたしには刺さらないわ。

でもねそうやって羨んだ他人の幸せを願えてる時点で、この歌の主人公もすごいなあって思うよ。全然情けなくなんかない。

今までは大好きなバンプの曲のひとつってだけだったんだけど、今日この瞬間思い入れのある曲に変わった。そんなことあるんだなあ。

コーヒー好きな友人にお礼言わないとな。そんでもっともっと美味しいコーヒーの淹れ方を教えてもらおう。

 

 

 

排気ガスを吐いて腹ペコのコンパクトカーが来る

 

近いうちに引っ越すことになり、引越し先の交通の便が非常に悪いため通勤に車を使うことになった。

運転免許は持っているが18で免許を取ってから1度しか運転経験はなく、それだって5年以上前の話なので運転技術に関しては赤ちゃんと同レベルだ。エケチェン。

 

このままでは通勤初日に病院送りになってしまうので、父にお願いして実家の近くで運転の練習をさせてもらうことになった。

まずは市営体育館の駐車場をぐるぐるしたり駐車したりして、その後その周囲の公道を30分くらい走ったのだけど、めちゃくちゃ神経使ってめちゃくちゃ疲れた。30分の運転なのに映画4つハシゴした時より疲れた。

 

だって車って考えること、気をつけることが多すぎじゃない?どうしてまわりのみんなや世間の人たちが簡単に乗りこなせているのか理解できない。

前方を見て車線の真ん中を走るようにして、車間距離を保って、人や対向車が来たらちょっと寄ったりして、なにか出てきそうなところではブレーキに足を乗せて、サイドミラーやバックミラーをチラチラ確認して、走行速度を確認して速すぎても遅すぎてもだめで、ナビで行き先を確認して、曲がる前はウインカーをつけて、横から車が来ないか他に曲がる車はいないか見て、信号に合わせて減速して、見ずらいカーブミラーも見て、普通に走るだけでこんなに、こんなにやることがある。おかしいよ。

わたしはマルチタスクが苦手で、そうなるともちろん車の運転もめちゃくちゃ苦手なことに気づいた。これを通勤に使うのはかなりのストレスだ。いつか慣れるのかな。

 

一歩間違えたら死ぬ、という状況って、普通に生きていてなかなかあるものじゃない。

屋上には手すりがあるし、信号を守れば基本的には事故も起きないし、駅のホームにはホームドアが標準装備になってきているし、街中に毒ガスが漂っているわけでもないし、襲ってくるモンスターがうろついているわけでもない。

けれども車を運転しているときは、例えば何か不測の事態が起きて思いっきりハンドルを切っただけで壁にぶつかって死ぬかもしれないし、アクセルとブレーキを踏み間違えただけで誰かを轢き殺すかもしれないし、急ブレーキを踏んだだけで後続車から追突されて首が折れるかもしれないのだ。

いまこの瞬間、たったひとつ選択を間違えるだけで人生が180度変わってしまうのかもしれないと、そう思うだけで肝が冷えるし、緊張とはまた少し違うなにか高揚感に近いものが胸の中に沸る感覚が怖くなる。

「ここでこの上司にお茶かけたらどうなるんだろう」と考えた時の感覚に似ているなと思う。

そんな風に今までの人生にほとんどなかった感覚を味わわされるのがすっごくストレスで、それで疲れちゃったんだと思う。

もともとゲームとか操縦的なことは大好きで、絶対に事故らないのであれば運転楽しいなと思うはずだもん。

あーあ、なんでみんなあんなでっかい高速で動いて人を殺せる鉄の塊を平気で操縦してられるんだ。すごい。

 

とにもかくにも4月までにはまともに乗れるようにならなきゃいけないんだ。

映画のドライブマイカーを観た時、車に乗れる友達が「車に乗る人にしかわからない感覚があった」って言ってた。そういうのもわかるようになるのなら、人生経験として車に乗る日常を経験できるのは良いことなのかもしれないな。と、少しでもポジティブに考えましょう。

実家に帰るのも面倒だし練習もしたくないけど、頑張らなくちゃなー。

 

寝て起きたらめちゃくちゃ運転上手になってたらいいのになー。