フープフラフープ

はらの趣味です

こんな時もあったなあ〜

 

昨日、「春原さんのうた」と「リング・ワンダリング」を観るために、久しぶりに下北沢と渋谷のミニシアターへ足を運んだ。

最近はシネコンばかりだったから、1本目の「春原さんのうた」が始まってすぐに、ミニシアターの音響のかんじとか、狭めの部屋とか、ミニシアター系映画特有の空気感とかに触れて、思い出が全身を駆け巡る感覚があってみぞみぞした。余白の多い映画で、そのせいか上映中も映画と関係なしに思い出と私生活のことをたくさん考えてしまった。

 

下北沢は思い出の場所だ。

初めて下北沢に行ったのはまだ1stアルバムしか出していなかった頃のTHE PINBALLSの3マンライブだった。物販のところで、ピンクのコンデジでメンバーの皆さんと写真を撮ってもらった。大学時代後半は髪を青とか緑とか変な色に染めに通って、帰りは必ず茄子おやじのカレーに舌鼓を打った。社会人になって美容院が別の場所に変わってからは、デートなんかでたまに来て映画を観たり古着屋やカフェを巡ったりした。

その間に駅の工事が進み、景色は大幅に色を変え、今の下北沢駅に伴う思い出はデートの思い出のみとなった。待ち合わせた場所、喫煙所の近くの道、階段のポスター、トリウッド、通り沿いの古着屋、無駄に歩いた住宅街、街の上での主人公のバイト先、どこで何の会話をしたかすらまぁまぁ思い出せてしまう無駄なエピソード記憶力を呪う。だけど、会話内容と繋がなかった手だけは鮮明に思い出せるのに、あの人がどんな顔や表情をしていたのかはあまり思い出せなくなってしまった。それだけ時間が経ったということなのかもしれないし、わたしは人の顔を見るのが苦手だから、ただ単に見ていなかっただけなのかもしれない。どちらにせよ辛かったあの時期に戻りたいとは思えないけれど、こうして美化された思い出たちがわたしを感傷に浸らせてくるので、自分では立ち直ったつもりでも意外と引きずったりしているのかもしれない。

恋愛は人生のメインではないし友達や趣味の時間も同じくらい大切にしたいと思っているのに、終わった恋愛にこんなふうに振り回されているのも滑稽だね。以前もそうだったから、もはや相手がどうこうとかではなく実はわたしは恋愛体質ってやつなのかもしれないな。嫌だな。

 

一通り思い出を巡った後は、将来に対する不安と今の生活に対する不満が湧いた。常日頃からまぁまぁ湧いてはいるけれど、なぜかこの映画中はいつもより余計に湧いていた。

今の仕事が辛いことばかりで、この仕事に就いてから夜眠れなくなってクマが取れなくなりたまに睡眠薬を使うようになった。体重が減ってみんなから痩せたねと言われるようになった。毎朝自分と職場を呪いながら家のドアを開けた。

本当は今すぐにでも辞めたいけれど上手に角を立てずに辞めないと同じ業界で働きにくくなる可能性が高くて、社会性ゼロのわたしにはその方法が思いつかない。

幸い4月から一年間別の事業所に出向となるけれど、その後はまたあの地獄に戻らなきゃいけない。辞めるための準備はしようとしているけれど、具体的なことが決まっているわけでは全くない。

それどころか次の引っ越しの準備さえままならないくらいで、「引っ越し業者決めなきゃ」とか、「ガスと水道解約しなきゃ」とか、「確定申告しなきゃ」とか、考えただけで最悪な気持ちになる。締め切りを守ったり、遠くの予定に対して準備をしたり、そういったことが苦手で、やらなきゃいけないのはわかっていてもどうしてもできない。できない自分も嫌いだし、迫ってくる締め切りに焦燥感だけが募る。

どうしてこんなに「生活」をするのが難しいんだろう。部屋も汚いし、最近は自炊もしてなくて流しに洗ってない食器がそのままあるし、洗濯物がソファで山麓を作っている。部屋を見回すだけで嫌になる。汚い部屋にいるとソウルジェムという名の自己肯定感がかなり濁ってしまうよね。こんなんで他人と結婚してうまくやれる気もしないし、これから先30〜50年くらいまっとうに生きていける気もしない。そうだ、最近「ゴーストバスターズ/アフターライフ」を観て、漠然と「子供欲しいなぁ」と思ったのを思い出した。大人になれてないのに子供が欲しいとは思い上がりにも程がある。そういう仕事、結婚、出産とかの将来の不安と、今の生活が成り立っていない不満が、映画中に頭の中をぐるぐるぐるぐる回ってしまって死ぬかと思った。辛かった。

 

みんなが当たり前にちゃんとできることを、わたしはちゃんとできない。だからこそわたしにできて誰かにできないことを理解できるようにならなきゃだと思うのに、それすら上手にできない。

 

ここから明るい結論に持っていくのはどう考えても無理なので、全然まとまらないけど今日はこのへんで筆を置いてしまうことにする。

もしこの記事を読んだ人がいたのなら、共感して暗い気持ちにはならないでほしい。「こんな奴もいるなら頑張れるかも」と(悲しいからわたしには言わないで欲しいけど)思って誰かの気が楽になればいいなと思う。

そんでいつかこれを読み返すわたしが、「こんな時もあったなあ〜」とニタニタ笑っていることを祈っている。