フープフラフープ

はらの趣味です

うるせえバーカ!

 

 

一年前まで、元恋人と、その友達と、わたしと3人で趣味が同じで仲が良かった。元恋人とは今はもう全くかかわりがないけれど、友達は今でもわたしの友達でいてくれている。元恋人と別れてからさらに仲良くなって、忙しい中でも定期的に遊んでいる。

 

昨日はその友達と遊ぶ日で、海鮮丼を食べてビールを飲んでケーキとクッキーを食べて映画とか服とか音楽とか好きなものの話をたくさんした。四畳半神話大系の話になって、「私はあなたにとっての小津だよ、気づかなかったの?」と言われて笑ってしまった。たしかにその友達のせいでドブに両足突っ込んでるかんじはあるし、そのおかげで今めちゃくちゃ楽しいよ。

テレビにiPhoneミラーリングをしてハムパチーノとダウ90000のコントを見せた後に昔の写真を見ていたら小津と元恋人と3人で旅行やフェスに行った写真がでてきて、楽しかったねえと言いながら写真を見た。卒業アルバムを久しぶりに開いたみたいで楽しかった。

 

そんなことがあった翌日の今日、「わたし達はおとな」という映画を観た。

観終わった後に、その元恋人と付き合ってる時代の休日に一人で過ごした日と同じような感覚になって、当時はそれが寂しいって気持ちだってわからなかったけれど、今日やっと「今わたし寂しいのかもしれない」と思った。

寂しいって、「寂しいなぁ」って思うものだと思っていたけれど、今まで思ってた「寂しいなぁ」は「楽しかったなぁ」ってことで、わたしにとっての本当の寂しいは今日みたいな言葉にあらわすことのできない気持ちのことを言うのかもしれないな、と思った。

 

映画の中で生活をしているシーンがあって、わたしも生活がしたい、と思った。

家に帰ってからスーパーに行って野菜とうどんを買って、元恋人が初めて作ってくれた料理を作る。料理が苦手なわたしのラインナップは、ほとんどが元恋人か小津に教えてもらったものだ。

最近いろいろなコンテンツに触れることが増えて、その多くが図らずも元恋人との会話にでてきたものだったりする。色々なものを好きな人だったので、たくさん良いものを教えてもらった。

とある映画を一緒に観たときに、「別れても自分の中に相手の一部が残っているという描写が、カネコアヤノの歌詞の世界観ですごく良い」と言っていた。その人への恋愛として好きな気持ちはきっともうほとんど残っていないのに、生活はわたしの中にたしかに残り続けている。あなたの元恋人があなたの言う「カネコアヤノの世界観」になってるよ、と笑いながら教えてあげたい。

 

あまりにわたしと趣味や生活感が被っていたから元恋人ばかりがフィーチャーされてしまうけれど、本当はわたしの好きな他の人たちからもこういった影響をたくさん受けている。トマトを避ける時、コーヒーを淹れる時、服を選ぶ時、靴下を履く時、ゲームをする時、化粧をする時、音楽を聴く時、車を運転する時、ギターを弾く時、もう忘れてしまったものも含めて、わたしの生活の多くに誰かのなにかが溶け込んでいる。それって悪いことじゃなくて、これから生きていく中でもっとたくさん増えていくはずで、思い出は古い方からだんだん忘れていくかもしれないけれど、生活や仕草に微かに残った懐かしさをずっと好きでいられたら嬉しいなぁと思う。