フープフラフープ

はらの趣味です

虫のいる生活

 

わたしは今、わたしとだいたい同い歳くらいの家に住んでいる。フローリングというより板でできた床はギシギシ言うし木造の扉を閉めるとすごい音がする。廊下と階段はめちゃくちゃ汚くて、手すりなんて触ろうものなら手が黒くなるし、ホコリとか落ち葉とかがそのへんに落ちまくっている。夏に落ち葉があるっていったい何ヶ月掃除をしていないんだ。せめてシーズン毎くらいには掃除してくれよ。共益費、もっと払うからさ。

 

ここ最近2階と3階の間の階段の真ん中に緑色の不思議なホコリが落ちていて、今日なんとなくよく見てみたらホコリにまみれたちぎれたカナブンだった。カナブンがちぎれていることも、長期間放置されないと纏わないレベルのホコリをもこもこと纏っていることも怖い。明日から毎日「カナブンだ…」って思いながら階段を昇降するのほんとに嫌だけど、片付ける勇気もないからそのままにした。

ひとつ見つけたら途端に脳みその中の虫を認識する部位が活性化してしまって、ぐるりと一周見渡せばひっくり返ったゴキブリ、ゴキブリ、セミ。小さい頃に見た悪い夢みたいな光景が広がっていて、背筋がジブリ映画のぶわっとなるやつみたいになる。

思えば、最寄駅の天井には超大作のどでかい蜘蛛の巣が張っているし、職場の駐車場の入り口にイモムシやミミズが干からびていてそれがだんだんしぼんでシミとなっていくのを毎日見させられている。シミに関しては見ないと避けられないから、絶対見なきゃいけない。辛い。

 

虫ってホラー作品でよく使われるくらい人間の恐怖感と結びついている生き物なのに、こんなふうにめちゃくちゃ人生の中に存在しているの、ヤバい。

中学二年生の時に一階のベランダで掃除をしていたら、いつの間にかわたしの肩に巨大な緑のイモムシが乗っていたことがかなりのトラウマになっている。デカすぎて誰も触れなくて、自分でティッシュを重ねてイモムシを肩からおろした記憶がある。デカいからティッシュを何枚重ねても絶対にむにゅっとした感覚が指に伝わってくる。SAWみたいな命のために嫌なことやらなきゃいけない映画の登場人物の気持ちってあんなかんじなんだろうなと思う。規模全然違うけど。

大学の寮の廊下に足の踏み場もないくらい魑魅魍魎が蠢いていた光景もたぶん生涯忘れない。カブトムシからクモにゴキブリ、ムカデ、イモムシからガやセミまで虫の万国博覧会みたいになってた。部屋にもめちゃくちゃゲジゲジ出るし。ゲジゲジってあんなナリでけっこう素早いんですよ。思い出したら喉の奥が狭くなるかんじがしてきた。

 

いつから虫を嫌がるようになったのかは定かではないが、小学生の頃外遊びから帰ると白いTシャツに大量の羽虫がくっついていた時にはもうかなり虫が嫌だった気がする。スズムシやカブトムシを楽しく飼育していた記憶もあるから、好きだった頃もあったはずなんだけど。小4の自由研究、スズムシの観察日記だし。

だから、「虫に対する嫌悪感っていうのは生理的根源的なもの」って印象があったけど、経験によっても裏付けされるものなのかもしれないな、とかってことを思ったりした。虫を嫌いになったエピソード、なんだったろう。やっぱりゴキブリかな。あいつの動きはマジでヤバいからな。