フープフラフープ

はらの趣味です

間違いだらけを乗り越えて

 

 

日頃からおしゃれすればいいじゃん、というのはちゃんと生活できる人の主張です。わたしは一刻も長く寝たいので、平日はTシャツとかパーカーみたいなすぐ着れて簡単に洗濯できるやつを適当にローテーションして着ている。なので土日のおしゃれがすっごく楽しみ。今回は久しぶりのお出かけだし、ここ最近一番楽しみにしていたダウ90000の公演の日なので、持ってる中でいちばんお気に入りのちょっといいワンピースとコートを着てきた。

 

 

公演の前に時間があるから、先に「四畳半タイムマシンブルース」を観に行くことにした。アジカンの「サーフ ブンガク カマクラ」を聴きながら新宿のバルト9に向かう。

間違わないようにわざわざ乗り換えの2駅前で読んでいた本を鞄にしまったのに、スマホをいじって気がついたら乗り換え駅を通過していた。自分の不注意に対して対策をしたつもりで全くできていなかった時の落胆にはいつまで経っても慣れることができないし気持ちの切り替えも苦手だけど、そういうミスが多いからこそ培われた行動の切り替えの早さを活かして、すぐに別ルートを検索する。なんとか上映時間に間に合わせて劇場に足を踏み入れると、広いスクリーンにも関わらず大方の座席が埋まっていた。自分と同じものを好きな人たちがこんなにたくさん同じ空間にいる、と思うとそれだけで少し嬉しくなる。四畳半主義者はもれなくアジカンが好きである。そしてもれなく捻くれている。少なくともわたしの身の回りではそうだ。エヌ数の少なさには目を瞑ろう。あの空間のアジカン好きの割合と捻くれ者の割合はどのくらいだったんだろう。現実もTwitterみたいに簡単に匿名のアンケートがとれたらいいのに。

 

映画をみて大満足したあとは「ここにあの人がいたらどんな顔して感想を言うのだろう」と、身の回りの四畳半主義者のことを考えながら映画館を後にする。映画やライブの直後に「楽しかったね」と話せるということがどれだけ素晴らしいことなのか、知らなければ良かったと思うこともある。もちろん終わった後にひとりでゆっくり考えたい作品もあるし基本的には一人映画が多いのだけど、「ホラー映画、大衆映画、思い出映画は誰かと観る方が楽しい」という持論がある。四畳半タイムマシンブルースは思い出映画である。かつて夜な夜な四畳半を求めて木曜深夜のフジテレビに齧り付いていた人間と一緒に観られたら、きっとそれだけでこの何倍も楽しかっただろうなと思ったりした。同時にこういう考え方が狭めてしまうものもあることは自覚していて、同じような青春を過ごした人間とか、同じようなものが好きな人間とか、そういうのばっかり求めてしまうことは度が過ぎると危険ではある。というか、簡単に言うと「交際に至りそうな人だいたい趣味あわねぇ」ってことなんだけどね。向こうも同じことを思っているんだろうな。

 

 

映画館を後にして、隣にある世界堂で額を眺めて、「額って売る時こうやって並べるんだ…」と新たな知識に少しだけ感動しながら外に出たら雨が降っていた。雨が降ることは予報で知っていたので長靴を履いてきていたけど、それなのに家を出る時なぜか「降らないことに賭けよう」と考え傘は持ってきていなかった。さらに濡らすとよくない革の鞄を持っていた。とりあえずコートで鞄を包み込んで、コンビニでビニール傘を買うことにした。

Googleマップでコンビニを探そうとしたら画面に水滴が落ちてきてうざいので、とりあえずバルト9の建物に避難した。一階に雑貨屋さんがあったのでなんとなく傘を探してみたら、奥の店舗にめちゃくちゃ既視感のある傘が並んでいた。

 

記憶は2021年の11月に遡る。旅行先の出雲大社の近くに傘屋さんがあって、そこでさんざん悩んで買ったレモン柄の傘だった。買ったその日にレストランに置き忘れて、翌日回収したのに空港に向かうバスに置き忘れた悲しみの傘だった。

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傘専門店の傘だったので、また出雲に行かない限り手に入らないと思っていた。まさかこんなところで出会えるなんて思ってなかったから、傘を持ってこなくて、いいタイミングで雨が降って、すぐ近くにコンビニがなかったという映画みたいな偶然の重なりに嬉しくなった。このためにわたし、傘持ってこなかったのかも。

たった一年で好みも変わるもので、今回は緑とベージュと赤の傘を買った。とても可愛いデザインだから、憂鬱なはずの雨の日がちょっとだけ楽しみになりそう。

 

 

その後は夕ご飯を食べて、新宿シアタートップスでダウ90000演劇公演「いちおう捨てるけどとっておく」を観劇した。

今回はかなり前の方の席だったのでひとりひとりの表情までよく見えるし、そこにダウ90000がいるってだけで感動だったし、公演自体もめちゃくちゃに面白かった。散々笑ったけどそれだけじゃなくて、その先に問いかけもあって、「終わった後誰かと話したくなる」ってこういう作品のことを言うんだろうなと思った。

 

ついて来てくれた人とは「その先の問いかけ」の話はできなかった。だからわたしと同じくらい性格が捻くれてて感性と特性の似ている小津のような関係の友達にすぐラインをして公演の話をさせてもらった。観てないくせに話したかったことを話せる小津はマジで貴重だと思った。「楽しかったね」だけで良かったはずなのにそれだけじゃ満足できない自分がいて、贅沢で我儘なことはわかっているけども、やっぱり作品を通じて思ったこととか思わなかったこととか、ちゃんと話したかった。でもそれを求めすぎてしまうことは、好きの類似性(今回の場合は受け止め方の共通性)を求めてしまうことは、閉じたコミュニケーションに繋がってしまう。結果、「好き」で武装したすげーいやなやつが出来上がる。敵なんてどこにもいないのに。誰かわたしにエクスペリアームスしてくれよ。

 

世界は開けている。好きになるのに早いも遅いもない。それは正しくもあり間違いでもある。長く蓄積された好きの上に成り立つ会話はやはり格段に面白いのである。だからこそ新しく入ろうとする世界で優しく受け入れてくれる友達や玄人たちには感謝してもしきれないし、自分もそうありたいと願っている。

人と人とのかかわりは違うからこそ面白いことだってたくさんあるのだということを、忘れないように大切にしたい。そうやって好きなものが増えたら最高だし、あなたのことは知ろうとしなきゃわからないのだから。