フープフラフープ

はらの趣味です

声と嫌いと年のはじまり

 

去年の夏、みてる映画がめちゃくちゃ被ってるのにすきな映画がほとんど被らない友達ができた。表現を捉えて映画の可能性を愛するその人と、感覚で捉えて映画の中の思い出を愛するわたしで、角度の違う目線のレビューや正反対の評価が多くて楽しい(可能性愛してなかったらごめんな)。

その人から誘ってもらって、いっしょに街の声を集めた本を作ることになりました。たくさんの声を集めたくて、アンケートを開設しました。

https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLScOO4d9ZTBGqUgjhRmMt9Efg7BmYC1m5MDom5Nw2zn1qf9Big/viewform

フォロワーさんも、名前だけ知ってる人も、知らない誰かも、回答をありがとうございます。もらった言葉、嬉しくて何回も読んでいます。しばらく募集しているので、よかったら答えてもらえると嬉しいです。

 

話は戻り、そんなかんじで去年の下半期は「嫌い(好きじゃない)」の扱いを考える半年になったと思う。「好き」よりも断然「嫌い」の方がだれかを傷つける可能性が高くて難しい言葉だけど、なにかをみて湧いた「嫌い」を全て押し殺すのは違うのではないかと思っている。それは人になにかされて思う「嫌だ」や生きていて感じる「これは違う」においても。それをどこまで表出するのか、だれにどこで語るのか、その塩梅が難しい。製作者やそれを好きな誰かの気分を害することは本意ではないので、簡単にエゴサーチができるTwitterではマイナスの感想を書きにくい(Twitterに正直な感想を書くことを悪く思っているわけではなく、わたしは人の気持ちが汲み取れず無闇に人を傷つけるので、そういったことがないように)。だから詳しいことはfilmarksや読書メーターといったレビューと記録のための媒体の中で書くようにしている。「嫌い」が先行すると悪意の滲んだ悪口になってしまう可能性があるため、できるだけ理由を言語化して気持ちが全面に出すぎないように意識するようにはなった。けれど、そもそも「嫌い」は生理的な気持ちなのでやっぱりどこか感情的な表現になってしまうことが多く、それは自分の課題だと思う。

わたしが年間ベストに入るなぁと思った映画にかなり低い評価をつけた人がいた。その人の言葉が好きだから、その理由にポジティブな興味が湧いた。自分と逆の感覚を持つ人の頭の中を知りたい。作品と真摯に向き合う人の低評価レビューは、たとえそれが自分の愛する作品だったとしても嫌な気持ちがしない。わたしもそうありたい。万人に対しては難しいかもしれないけれど、少なくとも親しい人が読んで不快にならない言葉を選べるように。

昨年、友達に「not for me」が嫌いという話をした。その言葉を見ると、シャッターを下ろされてしまったような、作品への責任転嫁を見ているような気持ちになる。嫌さで言うと「エモい」を言う時みたいな気持ちになる。それでいてわたしだって感想に「わたしには合わなかった」などと「not for me」に似た言葉を差し込むことがあるので正直お前が言うな状態ではあるのだけれど、そこで終わらず冷静に言語化して否定という行為にもある程度の責任を持てるようになりたい。否定することと拒否することを同列に扱いたくない。そうやって、「好き」だけじゃなく「嫌い」「苦手」「合わない」「好きじゃない」も上手に表出して認め合えたら、それはとても居心地の良い場所になるんじゃないかと思う。

 

追伸 新年あけまして切れ痔が再発して超痛い。とてもつらい。お願いだから切れないでほしい。