フープフラフープ

はらの趣味です

死にたくなる日が毎月毎月きてたまるかよ

 

昨晩、芥川賞で話題の「おいしいごはんが食べられますように」の作者高瀬隼子のデビュー作「犬のかたちをしているもの」を読んだ。

「子ども、もらってくれませんか?」彼氏の郁也に呼び出された薫は、その隣に座る見知らぬ女性からそう言われた。薫とセックスレスだった郁也は、大学時代の同級生に金を払ってセックスしていたという。

これ、裏表紙のあらすじの書き出し。面白そうだ〜と軽い気持ちで雑に読み始めたら、予想以上にのめりこんでしまって明け方近くまで夜更かしして一気に読み切ってしまった。ここからネタバレの話をする。けっこう怒っているので読みたい人だけ読んでほしいし、嫌な気持ちになるひともいると思うけど読んでもわたしに怒らないでほしい。

 

どうなっちゃうのか予想がつかなくて物語としてもとても面白いのだけどそれ以上に、日常の中で感じていたのに普段は感じている気がしなかった透明な理不尽への怒りみたいなものが引き摺り出される感覚があって、読み終わった後「どうして」としか思えなくなってしまってメンタルがおかしくなってしまった。夜だったし生理前なのもあったと思う。生理前の人はみんなちょっとおかしくなるから仕方ない。でも今自分がその状態だってカレンダー確認して気づいた時に、毎月毎月崩れたメンタルをセルフケアして痛み止めの効かない痛みに苦しんで漏れ出る血を汚れないように受け止めて捨てて、それは全部いつかの妊娠のためにおこっていることで、そのことがすごく「どうして」だった。女同士で「今日生理でさ」「あ〜つらいね」みたいな会話をすることはあるけど、もはやわたしたちにとってそれは当たり前のことでもあるからいちいち辛そうにするのも気が引けるかんじがする。毎月くるから慣れてもいる。でも慣れてても辛いもんは辛い。将来子供作るかすらわかんないのに10歳から50歳くらいまでこんなことに年65日間も耐え続けなきゃいけないの、意味がわからなすぎる。自分の体に「あなたは子供を産むために生きているんだよ」って言われている気がする。「結婚しないかもしれない、子供を持たないかもしれない、でもそれでも幸せでいたい」となんとなく思っている自分を、毎月体に否定される。うるせーよ。勝手に妊娠の準備をしないでください。でもこういうの全部、みんな当たり前に受け入れているから、「いまさら何言ってんのお前」って自分でも思う。その「何言ってんのお前」が怒りや悲しみを透明マントみたいに隠して、何も感じなくなった気になっている。

体だけじゃない。社会や家庭もわたしに妊娠を強いる。家庭のある人が揃うとわたしにはわからない家庭あるあるのどうでもいい話が始まる。作中でも同じような趣旨のシーンがあり、ライフステージが変わることで離れてしまう距離についても描かれていた。好きだったあなたの好きだったところが削ぎ落とされていくように感じてしまうこと。「かわいいけど、子どもより犬の方がかわいい」というメッセージにこめられた意味を、わからない人もいるのだろうし、わからない方が幸せなのだろう。わたしはあなたと、ずっと今みたいに大好きで意味のない犬の話をしていたいだけなのだ。

わたしの家族は結婚と孫の圧をいつもわたしにかけてくる。両親はまだ少し遠回しに聞くだけだけど、祖父母はそれはもう直接的に踏み込んでくるし、結婚と子育てこそが圧倒的唯一の幸せとでも言うように「普通の人でいいんだから、高望みしちゃだめだよ。はやく良い人を捕まえなさい」と会うたびに繰り返し言ってくる。捕まえるってなんだポケモンじゃねえんだぞ。それならとっととマスターボールをよこせ。

仕方ないね、わたしは農家の長男の一人娘なのだから。「大事な跡取り娘」という言葉を耳にタコ通り越してイカができるくらい幼い頃から繰り返し繰り返し繰り返し聞かされてきた。大した家でもないし、もう畑なんておばあちゃんの家庭菜園レベルのものしか残っていないのに。家父長制の権化である祖父母に長男であることを強いられたわたしは長男として喜ばれる選択肢を選んで生きてきたし、今ですら長男を強いられる。それが今更「女」として生きろだなんてどうかしている。というか、これは女を強いているように見せかけた長男の無理強いじゃないか。なにが普通の人だよ、なにが高望みだよ、わたしが一緒にいたいと思ったひととだけ一緒にいようとしちゃだめなのかよ。

 

あとは女性の息苦しさみたいなもの。その息苦しさを理解して書いていたというよりは、むかつくなという気持ちで書いていたところは、前からありました。

これは対談記事で高瀬さんが言ってたことば。本当にこれだった。どうしようもない息苦しさにむかついている。自然の摂理だから、当たり前の常識だから、どう頑張っても逃れられないから、みっともなくて誰も今更「どうして」なんて言わないから、受け入れなくちゃいけないから。その「どうして」は、「割りに合わない」という表現としても物語に登場する。割りに合わないのだ。割りに合わないのだよ。ねぇミナシロさん。

生理と妊娠のことだけじゃない。女だとわかった瞬間に威圧的な態度をとる人、ギリギリわかりにくいラインのセクハラをする人、笑えない下ネタを言う上司、酔わせた状態を同意とみなしてセックスしようとする人、飲み会の後に「家に入れて!」とごねて帰らない人、世の中にはこういう法に触れない範囲で最悪のひとたちがけっこう多く存在する。そういう最悪が物語の中でチラチラ顔を覗かせて、また「どうして」と思う。

こうして女だから経験してきた嫌なことがあるのと同じように長男ポジションだから経験してきた嫌なこともあって、もちろんその裏にはそれで得をしてきた部分もあって、だから結局みんな、男とか女とか関係なく、それぞれの立場でそれぞれの「どうして」がたくさんあって、その中には透明になっちゃってどこにあるのかわからなくなっちゃった「どうして」もあって、その透明な「どうして」に気がつかないうちにいのちをヤスリのように削られている。「どうして」を可視化しすぎることも辛いけど、ちゃんと「どうして」って言いながら涙を流すことで良くなる部分もあるかもしれないって、そう思うのが正しいのかすらわからないけれど、そうやって生きていくしかないんだ、わたしは。