フープフラフープ

はらの趣味です

「もしも東京」展の感想

 

清澄白河という街に初めて行った。

東京都現代美術館に初めて行った。

雨が降っていた。

雨の美術館は、雨音と水の波紋がとても綺麗だった。

靴が浸水するのが嫌で長靴を履いて行ったのだけど、連れて行ってくれた友人が買ったばかりのスニーカーを履いてきたのでわたしもお気に入りのスニーカーを履いてくればよかったと少しだけ後悔したのだった。

 

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「もしも東京」展は素晴らしい展示だった。

心を動される瞬間は歳を取るにつれて得難くなるもので、だからこそそんな瞬間に出会えた時の感動は大きい。

感動を言語化するのはとても難しいことだが、自分の言葉であらわすということをできるようになりたいので頑張って書き起こしてみる。

 

 

あったはずのもしもの東京を20名の漫画家が表現するという企画展。

一番期待していた作家というのもあるが、最も感動したのはやはり浅野いにおの作品だった。

 

描かれているのはあったかもしれない東京というよりはこれからおこりうる未来のかたちのひとつで、ものごとのオンライン化が急速に進み、仮想現実だとか拡張現実だとかそういったものが夢じゃなくなってきている今だからこそ強く感情移入ができる作品だった。

オンラインでの生活が主であるあの世界での現実は酷く荒廃したものなのだろうということはなんとなく予想ができても、実際に浅野いにおが描く現実の姿を見せられた時はすごくショックだった。

新種のウイルスが世界的に流行していてたいへんだ、ということを頭ではわかっていてもどこか他人事のような気がしていて、いつか終息して日常が戻ってくるんじゃないかなんて思っていて、なんならできないことが少し増えたくらいで既に日常に戻ってきているような感覚で過ごしたりもしていたから。

汚れきった空気の中ヘッドギアとマスクをつけて恋人を待つ姿があまりにも残酷で、わたしたちの未来がこうなってしまう可能性なんていくらでもあるのだなと思ったら怖くて、何も言えなくなってしまった。

後述するがこの後羽田空港に行き、がらんどうの空港を見てこの気持ちにとどめを刺されることになる。「ここにいる人たちは生き残った人たちで、わたしたちしか生きている人はいないんだよ」なんて軽口を叩いてみたりしたけれど、頭の中はあの見開きのページでいっぱいだった。

 

AIとの恋というありがちといえばありがちな題材も、こういった舞台設定と混ぜ合うことでただの虚しい恋物語では終わらせないところが凄い。

未知のウイルスがさらに進化を続け、人口が減り、他人と会うことが今以上に難しくなった世界では、オンラインの世界ですら生きた人間と出会うことが難しくなっているのかもしれない。

人口知能との恋愛が当たり前にコンテンツのひとつとなった世界で、はたしてその恋愛は本物なのか。あなたに会いたいと言った彼らの気持ちは偽物なのか。浮かべた涙はどこへ流れ着くのか。

クローバーが消えたのは告白を受けた直後だった。「誰かから告白される」ということが実績解除のひとつだったのだろうか。だとしたら、最後に持っていたクローバーは何の象徴だったのだろう。あなたと現実の世界でも付き合えたらいいのにという願いだと解釈したが、本当のことはわたしにはよくわからない。

 

展示を見た後に、浅野いにおが描いたもうひとつの作品のことを友人から教えてもらった。ダメージを受けるので帰宅後に読むようにと仰せつかったため、その場では読まずにとっておいて先程読了した。

コロナ禍が本格化する前に描かれた漫画で、当時の当たり前を描いていたはずがたった数ヶ月でこんな世の中になってしまったため「あったかもしれない」東京が図らずも描かれたことになってしまった。皮肉だ。

 

この世界では何者にもなれない人間が大半であるということを知るまでは、わたしも世界の主人公だった。

わたしには何もないのだと気付いたのは何歳の頃だっただろうか。自分を支えてきたはずのものが崩れ落ちて、そこから先に進むのが怖くて後ろを向いて座り込んでいた。

諦めきれないけど現実も見たくないこの話の主人公とは違って、わたしはあの時から全て諦めてしまっていた。

だけれども、齢28を目前にして最近やっとわかったことがある。作品は消費者のためだけのものではないが、消費者がいなければ成り立たないのも事実なのだ。誰かが作ったものをしっかり噛み砕いて共有して経験にしていくことが、わたしたち作れない人間が作品と向き合う方法なのだと思う。

 

「彼女と星の椅子」というBUMP OF CHICKENの曲がある。何者かになりたい女の子の歌で、わたしには関係のない歌だと思っていた。

その女の子は主人公になりたいのになれなくて、ほんとうは歌いたいのに自らタバコを咥えているからそれができない。けれど歌の最後にはタバコは出てこないし、ちゃっかり歌なんか歌っている。先程の漫画と同じで、彼女がそうなった過程は歌詞には出てこない。きっとそれを見つけるのは私たちじゃないといけないからだ。

そう思えた今日を大切にしながら、わたしも椅子に座ってタバコに火をつけた。

タバコの代わりに歌を歌える日を夢見て。

彼女と星の椅子

彼女と星の椅子

 

 

 

もうひとつ特によかった作品は岩本ナオの作品で、東京を舞台とした神様のファンタジー漫画だった。現実と非現実が混ざった作品は大好きだ。

東京観光という名目で浜松町から羽田空港までモノレールに乗って移動する描写が非常によくて(よいとしか表現できないのが歯痒い)これわたしもやりたいなって思ってたら、この後モノレール乗っちゃうのありでは?と友人が言ってきたのでこいつは最高かと思った。

そんなふざけた友人と浜松町から羽田空港まで各駅のモノレールに乗って、一番前の車両の一番前の席から東京の眺めを楽しんだ。

 

羽田空港は死んでいた。

お店はほとんどが閉まっていたし、国際線のカウンターはもぬけの殻で、聞こえるはずの音は一切しなかった。

ほんとうに世界が滅びかけているような気がして怖かった。

でもそんな空港をうろうろするのは廃墟探索に似た楽しさもあって、この景色が今しか見られないであろうことを祈りながら今日を記憶に落とし込むのであった。

 

 

 

そういえば、東京をテーマにした曲はなにがよいか、という問いには即座に答えることができなかった。

わたしの本当の答えはBUMP OF CHICKENの東京讃歌なのだと思う。

東京讃歌の歌詞の話もしたいけど、長くなっちゃいそうだしもうすごく眠いから、今日は寝ることにする。

明日からまた月曜日が来るけれど、頑張ろうね。

おやすみなさい。良い夢を。